築150年の町家を拠点に、新しいまちづくりのかたちを発信/新発田市


2024年02月28日 4739ビュー
パリでフォトグラファーとして長く活躍された経歴を持つ水島優さん。2年ほど前に帰国し、生まれ故郷である新発田の商店街にある築150年の町家を拠点に「ISEZI Social Design Project(イセジソーシャルデザインプロジェクト)」を立ち上げ、関係人口を増やす取り組みや新しいかたちのまちづくりなどさまざまな活動を進めています。そのプロジェクトの概要やフランスでのお仕事などについてお話を伺いました。
セルフフォト 撮影/水島 優
水島 優
1983年、新発田市生まれ。写真家、ソーシャルデザインプロデューサー。高校卒業後に上京し、バンタンデザイン研究所で2年間写真を学ぶ。その後、パリへ移住。フォトグラファーとして活動するかたわら、ベルサイユ市立美術学校で絵画や造形を専攻。2021年に帰国。新発田を拠点に「ISEZI Social Design Project」を立ち上げ、活動を進めている。
―古い町家を拠点にさまざまな活動をされています。

新発田の商店街にある元呉服屋さんだった店舗を拠点に、「これからの暮らしや生き方を見つめ直して、サスティナブルな社会を当たり前に考えよう」とプロジェクトをスタートさせました。それまではフランスで暮らしていたのですが、この建物との出会いもあり、日本に住むさまざまな人たちとのつながりも生まれて、「新発田で何かおもしろい取り組みができるんじゃないか」と2021年に帰国しました。


―フランスで長く活動されていたそうですが、あらためて経歴を教えてください。

パリではフォトグラファーとして活動していました。高校生の頃から写真に興味を抱くようになり、テレビ番組の『ファッション通信』やいろいろな雑誌を読むなかで、「ファッション写真っておもしろいなあ」とファッションフォトグラファーに憧れるようになりました。

専門学校で2年間写真の勉強をして、卒業後にパリへ。日本の広告代理店などへの就職も考えたのですが、ちょうどパリ在住のアメリカ人の写真家がアシスタントを探していて、「今しかできないことをやろう」とフランス行きを決めました。

ところが渡航の一週間前に、いきなりその仕事がキャンセルになってしまったんですよ。引っ越しの準備も終えていて、東京の部屋も引き払った後だったので、「もう行くしかないかな」と。まったくツテもない状態でフランスへ渡りました。


―それは勇気ある決断でしたね。

「まあ、なんとかなるかな」と(笑)。パリへ行って、語学学校に通いながら少しずつ写真を撮る仕事を始めていきました。運がよいことに、すぐに日本人カメラマンのアシスタントの話をいただくことができて、そこで美術品の撮影なども手がけるようになりました。

美術品の撮影はそれまで経験がなかったのですが、JALの機内誌の企画でオルセー美術館の収蔵品を撮る仕事に加えていただいて、数日かけて撮影しました。難しかったですが、とてもおもしろかったですね。そうやってアシスタントをしながら、渡航後3年くらいのタイミングで、美大に入学しました。
当時住んでいたパリ近郊の家
パリ時代の一コマ。テニスの大会パリ・マスターズにて
―美大では写真の勉強を?

美術の基礎をあらためて学び直したいと思い、造形美術と絵画を学びました。植物や野菜の油彩などを描いていましたが、結局、最後は版画を選びました。銅版画、写真製版画ですね。

実はもともとプラスチックペーパーの写真の質感が好きではなくて、いろんな方法を試していました。そうやって紙の素材感にこだわっていたら、版画に行き着いた感じです。美大には6年間ほど通いましたが、大学を辞めた後もアトリエに通って版画だけは続けていました。


―美大に通いながら写真も撮り続けていたのですね?

アシスタントの仕事をしながら自分の作品も制作していましたし、独立後は『ELLE』、『家庭画報』といった日本の雑誌の仕事も多く手がけました。人物、料理、ジュエリー、時計など幅広く何でも撮っていました。

一番おもしろかったのは、ハイジュエリーの撮影ですね。ライティングが難しくて、1カット2時間くらいかかることもあるのですが、撮影時間は決められているのでたいへんでした。思うようにいかないことにチャレンジしていく中でへこむことも多かったですね。
「カルティエ」のハイジュエリー 撮影/水島優
ダイナースクラブ会員誌『SIGNATURE(シグネチャー)』掲載
―水島さんご自身の作品はどんなものを?

かなり以前から「記憶」とか「記録」というものをテーマにしてきました。なぜ絵ではなく、写真なのか。つきつめていくと、「記憶」や「記録」に行き着きます。

絵は自由な表現が可能ですが、写真はあくまで実際に存在したもの、現状を写すもの。どんなに抽象的に撮っても、そこには何らか現実の痕跡が事実として残っているところがおもしろいと思います。撮る側が意識していなくても事実はちゃんと残っていて、新しい発見があったりする。後になって見返すとわかることもある。そこが、絵にはない魅力ですね。


―パリでの暮らしはいかがでしたか?

パリには17年半ほどいました。新発田で暮らした時間とほぼ同じ時間をパリで過ごしたことになります。フランス人はあまり他人に干渉しないけれど、困っている人がいればみんなで助け合う。優しいんですよ。新発田は人見知りの方が多くて、そう簡単には打ち解けてはくれないですけど、フランス人は一瞬でパッと心を開いてくれます。でもそれ以上は踏み込んでこない。ドライなんですね。そんなフランス人の距離感が心地よい面もありましたし、楽といえば楽でした。ただ、コロナ禍になって、まったく違う世界になってしまったんですよ。


―コロナでどんなふうに変わったのでしょうか?

それまでは、月に一度は飛行機に乗って国内外へ撮影に出かける生活でしたが、それがまったくできなくなってしまいました。最初の数か月は完全にロックダウンとなり、家からも出られない状態が続きました。外出するには一日1時間以内の証明書が必要で、移動範囲も自宅から何メートル以内と決められているので近所のスーパーくらいしか行けず、日本食も買えない。電車にも乗れない。本当に世界がすっかり変わってしまいました。

それでも、そんな生活でも良いところはあって、自分でパスタの麺を作ってみたり、丸一日かけてダシを取り、二日がかりでラーメンを手作りしたりと、不自由な生活を楽しもうと考えるようになりました。それは僕だけじゃなくて、まわりの友人も同じで、パンを焼き始めたりして。そうやって自分で作る生活に変わっていったんですよ。最初はきつかったですが、慣れてくると、「こういう生活もいいかな」と思うようになりました。

そんなふうに消費の仕方とか、時間の過ごし方、価値観、生き方そのものが劇的に変わったのは大きな驚きでしたね。フランス人はもともと個人の生活を大事にしますが、それがより強くなって、僕自身もそうですが、お金ではないものに価値を見出すようになり、日々の営みだとか、生き方だとか、根本的なあり方を考えはじめたように思います。
呉服店だった「伊勢治」の歴史を感じさせる仏間で、コロナが社会にもたらした変化を語る
―帰国を考えたきっかけは?

1997年に京都議定書が採択され、先進国の排出する温室効果ガス削減についての数値目標が設定されました。この頃からすでにフランスではサスティナブルな考え方が一般市民の中に浸透してきていて、コロナ後では、エコロジーに配慮したものしか作らない、オーガニックな商品しか売れないという流れになっていました。

コロナが始まった2020年の冬、東京と新発田で個展を開催するために一時帰国したのですが、そのときにこちらに住む人たちといろいろなつながりが生まれて、「ここ新発田で何かできるんじゃないか」と考えるようになりました。

今の活動拠点となっている「築150年の町家と蔵」との出会いもこの時で、この場所を活用しておもしろい取り組みができないかと、仲間と一緒にスタートさせたプロジェクトが「ISEZI Social Design Project」です。


―「ISEZI Social Design Project」とは?

今の活動拠点となっている「ISEZI」は150年ほど前に建てられた古い呉服屋さんで、屋号の「伊勢治」をそのままプロジェクト名に使わせていただいています。新発田中心部の商店街に建つこの古い店舗を足場に、歴史的な財産を使いながら新しい未来のかたちを創造していこうというプロジェクトです。

パリ郊外のパンタン市という街に、元貨物の駅だった場所をエコロジカルに再開発してつくった「La Cité Fertile(ラ・シテ・フェルティル)」という場所があります。直訳すると「肥沃な街」という意味になりますが、地産地消の野菜を使った料理を安く提供したり、講演会やライブを開催したり、都市型農業を教えたり、コンポストトイレを使っていたりと、学びと楽しいことが同時にあって、「持続可能な街」のモデル都市のような場所になっています。フランス式の「サードプレイス」ですね。その日本スタイルを新発田でかたちにできたらいいなあと思ったのが始まりです。
入口を入ると広い土間。上がり框から雪見障子で隔てられた奥に和室がある
―「サードプレイス」というのは?

自宅や職場などメインとなる生活空間とは別の、もう一つのソーシャルな空間のことをいいます。日本ではカフェや図書館などを思い浮かべる方が多いのですが、フランスでは、「文化を媒介とすることであらゆる社会階層の人々が集まってつながれる場」という、公共的な取り組みをする場というような意味合いがあります。

コロナ後の世界を考えたときに、未来は日本の地方都市からゲームチェンジしていけるんじゃないかと思いました。日本はもともとサスティナブルな国で、茶碗が割れてもついで使ったり、服をリフォームしたりということは伝統的に行われてきました。特に、地方にはまだそういう文化が残っているし、コミュニティも残っている。日本の地方都市から発信できたら、世界の最先端になりうるだろうと考え、仲間と準備を進めて2021年10月にこちらに戻り、本格的に活動をスタートさせました。


―具体的にはどのような活動を?

フランスのサードプレイスを参考にしつつ、新しい公共のあり方を模索しています。活動拠点である「ISEZI」も、SNSなどで仲間を募りながら、できるところは自分たちの手で改修を行い、ピザ窯も自作しました。町の中心部にある商店街ですから、誰でも歩いて来られて、そこで社会課題を解決できたり、変化を生んだりできる場所にしたいといろいろ活動を行っています。
仲間たちと一緒にピザ窯づくりにも挑戦!
たとえば、ライブコンサートなどのイベントを開催したり、「哲学カフェ」を開いたり、外国から来た旅行者の方も気軽に泊まれるような民泊も運営しています。

「哲学カフェ」は、「日本には哲学が足りないな」と感じていたことからスタートさせた企画です。さまざまな取り組みを行う際にもベースとなるコンセプトが明確でないと迷子になってしまうので、論理的に考える力を育むために、誰でも気軽に参加できて日常的に哲学に触れられる場所として毎月第2水曜日に開催しています。
毎月第2水曜日に開催される「哲学カフェ」。だれでも参加できる
真っ暗闇の中で卓球をする「暗闇卓球」のイベントも人気です。卓球をしたことがない人でも楽しめる企画があればいいんじゃないか、ということで始めたんですが、これが意外におもしろくて、多世代交流の場にもなっています。
音楽に乗って暗闇の中で光るボールを追う「暗闇卓球」
ほかには、「宿題カフェ」という取り組みもあります。小学生や中学生が宿題をやったり自習をしたりできる居場所になればと始めたんですが、ふたを開けてみると小学生はほとんど来なくて大人のほうが多い。ですから、ここも多世代交流の場として、大人が見ている環境で子どもが過ごせる拡大家族みたいな感じになったらいいなあと思っています。


―活動を続けてきて、課題のようなものは?

子どもの孤立を防ぐ活動を行う「認定NPO法人PIECES」という団体に友人がいるんですが、なぜそういう団体が必要なのか、実はあまりよくわかっていなかったんです。でも、日本では子どもの数は減っているのに、不登校の子どもや子どもの自殺者数は増え続けているんですね。帰国して1年くらい経って、ようやくそういった日本の現状がわかってきました。

フリースクールを運営していた知人もいるのですが、集団の中で勉強ができない子どもたちを救う活動をやりたくても経営が成り立たないんですね。そうなると、学校に行けない、集団の中で勉強できない子どもたちを救うために、何か別の方法を考えなければいけないわけです。

フランスでは、福祉は一方的に与えるだけではだめだと言われています。無償で何かを提供することは、その人の自立心を奪うことになるので人権問題にあたるという認識なんです。自立していくことをサポートするのが基本姿勢だと。僕も同じように考えていて、子どもたちの居場所をつくることも、高齢者の方たちのお茶飲み場をつくって、子どもたちもいつでも来られるという場所がつくり出せたらいいなと思います。

最近は「民間公共施設」という表現を使うようにしています。これからは役所にお願いして何とかしてもらうのではなくて、自分たちでできるところは自分たちで何とかする。もともと地域コミュニティは、そういうものだったはずじゃないですか。新発田にはまだそのしくみが残っているので、それをもっと「見える化」して楽しく活動できる雰囲気になれば、移住者や若者も参加しやすくなって、ぐっと風通しがよくなるのかなと思います。
フランス式を参考に、日本に馴染む新しいスタイルを発信する
―今後の目標や、もっとやってみたいことは?

「ISEZI」については、ゲストハウスかシェアハウスのようなかたちにしてもおもしろいかなと考えています。1階をシェアハウスにして、2階を民泊にするとか。そうやって海外からの旅行者と地元に住む人との交流が生まれたらいいですよね。

ほかには、関係人口を増やすプログラムをもう少し拡大したいですね。ピザ窯を作ったので「How to make a Pizza」という企画をやりたいなと考えています。以前、イギリスで、トーストを作るために、トーストに関わるものは全部作るということで、トースターまで作ってしまおうというアートプロジェクトがあったのですが、なんとトースターが爆発しちゃったんですよ。おもしろいでしょう?それのピザ版を作れないかなと。たとえば、材料は買うのではなく、新発田近郊の農家さんなどに行って収穫を手伝ったり、山で拾ってきたり、その時に調達してきた材料だけで焼くとか。そういう参加型の企画をやってみたいですね。

また、ビオトープをつくる計画も進めています。生物の多様性を継続的に観察できる場所があったらすてきですよね。それから、道も作ろうと思っています。私道をつくって「ISEZI小路」という名前にして、みんなで花見ができるようにシンボルツリーとして桜の木を植えたいなあ、とか。そういう楽しいしかけをたくさん作って、仲間を増やし、楽しい場所を創造していきたいですね。


―時間があるときは、どんなふうに過ごされていますか?

自転車が好きなので、少し遠くまで足を延ばすこともあります。最近は、五頭温泉郷のあたりまで行ってきました。温泉に入ってから、ゆるりと水原の近くを通って帰ってきましたが、農村地帯が続いていて、本当にきれいな日本の原風景だなと感じました。

あとは、ちょっと時間が空いたらDIYをしています。何人かの仲間と「DIY部」というものをつくって、自分たちでいろんなものを作っています。古い建物なので、あちこち修理も必要なんですよね。トタン屋根の塗装もみんなでやりましたよ。

フランス人は、内装工事なんかはみんな自分でやっちゃうんですよ。業者に頼むと高いし、下手なので。僕もフランスのアパートで一度水漏れがあって、修理屋さんが来てくれるまでに一週間くらいかかると言われて。それが普通なんです。一週間、水は漏れ続けているわけで、トイレも使えなくて、結局待っていられないので、友人に教えてもらって自分で直しました。


―新発田で好きな場所やおすすめのスポットを教えてください。

新発田の好きなところは、和菓子屋さんが多いことですね。甘党で、和菓子が好きなんですよ。最近おすすめなのは、寿堂さんの「宇れし乃(うれしの)」でしょうか。くるみの入ったゆべしなんですが、パッケージもちょっと懐かしい感じですてきですよね。東京などにお土産として持って行っても喜ばれます。
寿堂の「宇れし乃」1個173円(税込)。
良質のくるみや木の実を使ったゆべしで、皇室にも献上された逸品
新発田は街の中を新発田川が流れていて、とても風情があると思います。流れに沿って歩いていると、不思議と心が落ち着きますね。歴史を感じられる清水園も好きです。こうした古き良き風景を大切にしながら、活用していってほしいですね。
国指定名勝、旧新発田藩下屋敷の「清水園」
まちなかを流れる新発田川。右手に「清水園」、左手には「足軽長屋」

ISEZI Social Design Project

新発田市大栄町1-2-2

清水園

新発田市大栄町7-9-32
0254-22-2659
開園時間/3〜10月 9:00〜17:00
     11〜2月 9:00〜16:30
休園日/1・2月の水曜(祝日の場合は翌日)、年末
    2024年4月より毎週火曜(但し4・5・10・11月を除く)
入園料/大人700円、小・中学生300円、高校生・大学生・70歳以上600円

菓匠庵 寿堂

新発田市大手町4-1-16
0254-22-2831
営業/月~土曜9:00~19:00、日曜9:00~16:00、甘味処10:00~16:00(LO)
定休日/火曜、元日、その他不定休

この記事を書いた人
新発田地域振興局 魅力見つけ隊

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王道はもちろん、地 元あるあるネタまで、分かりやすくお伝えします。

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