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レポート3
神奈川県 岡夫妻さま


   

「にいがた花物語」モニターツアー感想文

= 始まり =

「こんな募集が来たのだが、どうだろう?」、「そうね、ちょっと見せて」
3月20日朝のことだった。私のYahoo!メールにYahoo!デリバーから1通のメールが届いていた。それは“「にいがた花物語」観光キャンペーン〜にいがた春の里山巡り・モニターツアー参加者募集!〜”だった。 “にいがた雪国の遅い春に、越後の歴史や文化も、大自然と共に色豊かに里山を飾り付けます。山野草トレッキング、山菜取り、山古志の原風景やブナ林散策など自然の息吹を感じていただきます...”どなたの文か、目を引くなかなか魅力的な案内文である。旅行日程を見ると越後湯沢ではないか!越後湯沢、石打、スキーに山に青春の思い出がよみがえる。先輩と通った巻機山の山スキー、清水部落でのバス待ちのときの民家縁先でのお茶のもてなし。妻とたまたま1泊した松之山温泉。昨年、バイクでも長野県白馬村から糸魚川街道を糸魚川市〜富山県へ、飯山市から十日町街道を小千谷〜関越道。新潟はそのほか仕事ではいろいろ行っている、懐かしいところである。しかし、残念ながらいずれもスポット的、通過点で、じっくり見たことは無いのである。このたび、“春の里山巡り”の名に引かれ、新潟の春をじっくり味わえるのではないかと期待して、妻に声を掛けたのであった。

■越後湯沢へ
幸いにしてモニターに選ばれてすぐの4月15日、緑の窓口にMaxときの往復特急券、2階席指定を購入しに行った。乗車まで20日近く前だったがMax 2階席、特に窓側の席AやFは人気で、出来るだけ早めに手当てしないと入手しそこなうのである。往きはA,B席、帰りはE,F席を希望した。帰りのE,F席はすでに満員だったが、A,B席は取れた。どうも妙高が見える側の2階席が人気のようである。 5月8日早朝、6時20分の2番バスで鶴見駅まで出て、京浜東北線北行で東京駅に着いたのは7時ちょっと過ぎだった。ここで妻が楽しみにしていた駅弁とお茶などを買ったりして30分近く時を過ごして、7時48分発Max とき307号で越後湯沢に向う。とき号は指定席、自由席ともゴールデンウイーク明けの平日にもかかわらず満員で、行楽に向う人たちは勿論のことビジネス客も多く、平素からこの時間の利用者の多さをうかがわせる。駅弁を取りながら2階の車窓から見る風景は目にも鮮やかな新緑で、東京〜越後湯沢間200km、77分の旅はあっという間に過ぎ、越後湯沢駅に定刻9時5分に到着した。

■「味噌なめたか」の関興寺
「1410年、禅道場として関山村(現、妙高市字関山)に開山し関興庵と称した。1751年現在の地に再興、関興寺に改めた。臨済宗の古刹」とある。600年の歴史がある上杉氏と深いかかわりを持つ参禅弁道の古刹。上杉氏といえば1751年に日向高鍋藩主の次男として生まれ、米沢藩上杉家の養子として入り、藩政を立て直した上杉鷹山公を思い起こした。私事であるが、私は宮崎県の霧島山の中腹で18歳まで過ごしたので、宮崎県民性が一応理解できるつもりである。よく言えば純朴、また日向ボケ、日向時間などといわれる。明るくお人よしでかつ真面目である(そこに惑わされることがある)。社民党福島党首、今春亡くなったおふくろを思い出させる。安井息軒、小村寿太郎などがある。宮崎と気候、風土、気性の全く対照的なこの雪国と上杉氏を通じたかかわりを知り、その縁に驚き、かつ感慨深いものがあった。(そういえば、最近何かと話題になる東国原知事は隣町であった)


関興寺山門

■塩沢牧之通りと塩沢つむぎ記念館
越後塩沢の雪国の生活を描いた雪国百科とも言うべき大作「北越雪譜」を著した江戸時代の塩沢の豪商であり文人、鈴木牧之の名を取った「塩沢牧之通り」は道路の仕上げを残し両側の商家と雁木など主なところは先の中越地震の跡形も無く美しく整備され、初夏の日差しにまぶしく輝いていた。歩道には「北越雪譜」の有名な雪の結晶図のタイルが随所にあしらわれているのが印象的であった。塩沢郵便局の裏手にある鈴木牧之記念館には数々の遺墨、書簡、著作などと共に「北越雪譜」の江戸時代の版が展示されているということなので次の機会にはぜひ訪れたい。 次に訪れた「塩沢つむぎ記念館」では館長さんの丁寧な塩沢織物の魅力と紹介をいただいた。また2階の織工房では二人の女性が熱心に織仕事の体験に取り組んでいるところを見て、伝統織物がより身近なものとして感じられた。1200年より前から塩沢地方で生産されていたといわれ「北越雪譜」にその生産活動が詳述されている「越後上布」の技術を絹織物にとりいれたもので、1770年頃作られたといわれる塩沢つむぎは織物にあまりなじみの無い私の目にもその繊細で上品かつしっとりとした風味の絣が素晴らしい。夏の男物として1枚手に入れたいものだ。

     

塩沢牧之通り

つむぎ織工房
     

■「土踏んだか」の雲洞庵
「塩沢つむぎ記念館」を後にして、バスは田植えを前にして水が張られた見事な水田の中の一本道を雲洞庵に向った。まことに手入れの行き届いた美田である。さすがに魚沼コシヒカリの産地の真っ只中である。米は単に日本人の主要食料というだけではない。米を取り巻く日本の自然、気候風土、歴史を物語る日本の象徴として守り育てていかなければならないものの一つであろう。 苔むした山門を潜ると、深い森のしじまに雲洞庵は静かに佇んでいた。本堂に導かれる杉木立の参道は明るい日差しを目指して緩やかな上り勾配で、左手に鐘楼を見る。きれいに掃き清められた建物の参拝者入口から廊下に上がると、左手窓から見渡される本堂正面の眺めが素晴らしい。 廊下の突当りに清水があり、“弁道”一、作務(掃除)、二、行持(行い)、三、学問(勉学)とあった。昭和20年代に小・中学校を過ごしたものにとっては懐かしい戒めであり、“勉強が出来れば”といった現代に於いても、古いと思われるかもしれないが再認識されなければならないのではなかろうか。なお同じ禅宗の中でも、曹洞宗の雲洞庵に対してさきに参拝した臨済宗の関興寺では、一、作務(掃除)、二、看経(お経を唱えること)、三、座禅とされている。 本堂ではご住職からこの寺の由緒、縁起について説明があった。1300年あまり前に尼寺として開かれたこの寺は最盛期には修行僧600人を抱える大きなお寺だったが、明治初年から4年にかけての廃仏毀釈により修行僧が日夜過ごす建物はことごとく打壊され、昭和60年をもって修行僧なくなった。現在は座禅道場に一般からも参禅者を受け入れている。明治政府による神道国教、祭政一致の政策により始まった廃仏毀釈運動は仏教施設の破壊を引き起こし、一説によるとそれまでは現在残されている国宝の3倍が存在していたと言われている。まことに恐ろしいことが行われたものである。

雲洞庵本堂
雲洞庵本堂

■そば処 田畑屋
そば処田畑屋は国道17号沿いにあり、12時前にもかかわらず駐車場は地元ナンバーで占められ繁盛している様子であった。ここで名物のへぎそばと山菜のてんぷらを頂いた。味といいボリュームといい満点で、さすが地元で人気の店だけある。とくにシーズン真っ盛りの山菜は種類が豊富で質は良く十分堪能できた。

■坂戸城跡
国指定文化財の坂戸城跡は坂戸山頂634mの実城、山麓の御館、家臣屋敷跡、堀跡などからなっている上杉景勝ゆかりの城跡で、カタクリの群生地や山野草で知られるとのことであった。この度は南魚沼市観光協会、山野草ボランティアガイドの方のガイドで坂戸城跡ハイキングコースの一部、上杉景勝生誕地から薬師尾根の途中を下るコースを巡った。カタクリは時期を過ぎて見られなかったが、イカリソウが盛りであった。薬師尾根には多くのいろいろな姿態の薬師如来像が道の両側に見られた。これらの薬師如来像は時間をかけて調べればいろいろ興味深いことが分かるのではないかと期待される。坂戸城跡は1日をかけても見尽せない程見どころが多い。また日を改めて訪れたいものである。
イカリソウ
イカリソウ

■永林寺
中越地震の震源地 堀乃内地区、堀之内IC近くの轟々と車の行きかう高速道路の直下に曹洞宗 永林寺はあった。ここには幕末の名匠 石川雲蝶の彫物、絵画が数多く公開されており、特に本堂天井の木の彫物が素晴らしい。ご住職じきじきのユニークな講話も楽しかった。これだけの文化財を中越地震の損害から短期間に復旧されたご住職のご苦労には頭が下がった。そればかりではなく、世界の貧しい子供たちを助ける活動など幅広く精力的に活躍されているご様子をお聞きし感動した。

永林寺本堂
永林寺本堂

■民宿「休み場」と山菜取り
永林寺を出てJR只見線沿いに国道252号線を東へ里山を走ること30分、252号線沿いの高台にある今宵の宿、民宿「休み場」にまだ日のある16時ごろ到着した。宿着に着替えて庭先に出ると午後の風が心地よい。同行の人たちと宿のご隠居と風に吹かれて立話をしているうち周りをふと見ると、手近に結構山菜が見られるではないか。その後皆さんが離れた後も夕食まで結構な時間ご隠居と話し込んでしまった。(なお、「休み場」の風呂が一人用と狭いことから、ここに来る途中でどこか立ち寄り温泉に寄っていただけたら良かった) 夕食は付近で取れたという様々な山菜料理がこれでもかこれでもかと出され堪能、採れた現地で食べる山菜は全く別物であり、山菜は採って帰るものでなく採ったところで食べるものと痛感した。夕食後のひと時地元ボランティアさんの入広瀬地区の歴史と暮らし、自然についてお話があった。 快晴の翌9日朝食後、裏山に山菜取りに行った。ワラビ、ゼンマイ、たらのめ、こしあぶら、やまうど、木の芽など種類、量ともに手じかに沢山の山菜が見られた。いくらでも採れそうだったが、私は木の芽とワラビを中心に食べきれるだけ採った。ここ入広瀬地区は「さんさい王国」というだけあり、山菜が豊富な上多くの民宿があり、付近には温泉も多い。5〜6月の山菜の時期もさることながら10月のきのこも豊富とのこと、きのこ好きの私は今はずっと昔、信州 扉温泉で食べたきのこ料理を思い出した。ぜひまたここ入広瀬地区を今度は家族で訪れたいものである。 昼食もここ「休み場」で頂いた。ここの山菜定食もとても良かった。昼の山菜定食だけのために数人のグループのお客が来ていた。評判のようである。ここのご主人が打った手打ちそばを一口味見した。ちょっと太めで腰が強く独特の食感のしっかりと丁寧に打たれた「男の、男らしい」そばである。ぜひこの手打ちそばを味わいに来たい。
     
休み場入口
休み場入口

山菜の煮物
     

■旧山古志村

あの中越地震で甚大な被害を受けた村で、今は長岡市と合併した旧山古志村、ここには昨年6月はじめにバイクで長野県木島平から国道117号線谷街道を通って十日町〜小千谷市街から入ったことがある(実際は迷って入ってしまったのであった)。その当時道路には山古志村入口にバリケードがあり、一般者は入れず引き返した。それでも付近の崩壊は想像以上のものだった。6月5日の地震後初の牛の角突き見物で付近の宿は一杯だった覚えがある。地震被害で知られた地域であるが、それだけではなくここは日本人ならばその心に沁みる美しくも懐かしい山里の風景そのものなのである。このたび凄まじい崩壊の痕跡と復興の状況を見て、地域住民の方々の忍耐と地域再生への努力とともに、インフラのみならず自然をもここまでに回復させている日本の底力を心強く感じた。
     
オオバキスミレ
オオバキスミレ
     
■松之山温泉
あれは6〜7年前であったろうか、その年の夏、家内と二人ドライブで妙高から新潟市内を通って松之山温泉に1泊したことがある。とても暑い真昼ごろ、新潟市の入口でオープンしたてのイトーヨーカ堂の1階の小さな書店で観光地図を買い求め、新潟市から近い温泉を探して松之山温泉を見つけ、向ったのだった。このたび旧山古志村から十日町市に入り県道80号線を通って松之山温泉に向うに至り、80号線のあたりの風景は以前訪れたときの記憶と変わりのない風景、棚田や総二階建ての伝統的な外観の民家など懐かしいものだった。松之山温泉街の鄙びたけしきも変わりなく、前に来たとき泊まった通り最奥の野本旅館も懐かしい。その晩泊まった旅館・千歳は手入れの行き届いた落ち着いた宿であった。 夜、会食のとき地元保存会による松之山の郷土芸能「獅子舞」と「剣の踊り」を鑑賞した。鍛えた体の力強い踊りに感動、特に「獅子舞」は立居振舞いが素晴らしかった。十日町市や松之山観光協会のパンフレットや新聞などにもっと紹介されればと思う。湯、雰囲気、食事、暖かいもてなしなど全てにおいて満足であった。温泉郷は周囲の自然と共生しないと価値が無いと思う。ここは見事に調和して保たれている。この雰囲気を大切にしたい。
     
獅子舞
獅子舞
     
■大厳寺高原
松之山温泉から15分位の近くの大厳寺高原は長野県栄村と境を接する標高700mほどの明るい高原でキャンピング、バードウオッチング、ハイキングなどが楽しめる。 松之山温泉に宿泊した翌9日も快晴に恵まれ、十日町ネィチャーガイドの案内で自然観察ハイキングに出発した。標高800m前後の緩やかな尾根通しの道は新緑のブナが生い茂り季節の山野草が咲き乱れる里山である。特に一帯にあるオオイワカガミの群落はなかなか他所では見られない。また少なくなり絶滅が危惧され近年盛んに保護活動が行われているギフチョウとその食草フタバアオイを見ることが出来たのは思いもかけない喜びであった。2時間ほどの山野草を観察しながらのハイキングはしばらく振りの楽しいひとときだった。ここは自然が豊かで夏涼しく近くには多くの温泉があるので、目的により季節毎にいろいろな楽しみ方があると思われが、自然観察を目的に訪れるならばおそらくは今のこの季節がベストではなかろうか。
     
オオイワカガミ
オオイワカガミ
     

■じょうもんの湯「おふくろ館」
地元のおふくろさん達が運営している旅館をかねた立ち寄り湯・じょうもんの湯「おふくろ館」は素朴でのどやかな風景の中にあった。それでも12時頃バスが「おふくろ館」に到着したとき空が暗くなり雨が俄に降りはじめ、しばらくすると激しい雷雨になった。30分ほど前大厳寺高原では日が照っていたのにこの変わりようである。思えばこれまでの道中お天気に恵まれてきたものだ。幸運に感謝しなければならない。 ここでいただいたそば定食のそばと山菜のてんぷらは質量ともに大満足の上、差し入れのどぶろくとの相性が絶妙で言葉が出ない。ここはオートバイ旅行者の間では知る人ぞ知るスポットとのことである。そのうちバイク泊りがけで訪れたい。秋口はどうだろうか。

■当間高原リゾート・ベルナティオ
松之山方面からR357号線で117号線に出て小千谷方面に5km程戻った所から右に入って開拓地を少し走ると当間高原である。ここに東京電力を主体に7つの企業体が集まって作ったという鞄槙ヤ高原リゾートが運営するホテルを中心とした宿泊施設、ゴルフ場等のスポーツ施設などからなる広大な総合リゾートがあった。そこのフラワーハウス内であてまの花の押し花でしおり作成を体験した。そのごの構内の見学はあいにくの大雨のため屋内から外観を見るにとどまったが、それにしてもここでは便利な東京から往復直行バス付き宿泊プランもあり、いろいろ楽しめそうである。家族で、グループで多目的に利用するのに良い。

= 旅の終わり =

5月8日朝に越後湯沢駅に来てから10日午前中まで天気に恵まれ快晴だったが、10日午後から激しい雷雨に見舞われ、越後湯沢駅では別れの挨拶もそこそこにしか出来なかった。しかしながら旅の主なところは天気に恵まれ、特に大厳寺高原ハイキングまで天気がもったのは本当に幸運だった。 この里山の旅を終わってみると改めて新潟県は北に山形県、東に福島県、群馬県、南に長野県と境を接し西に佐渡を擁し日本海と接している南北に長く広い、長い歴史と伝統文化、多様な自然環境に恵まれた国と感じた。このたびの里山めぐりはそのうちの南側半分、中央平野部を中心に巡った。それでも目的は十分果たしたと思う。ただこれだけ新潟の多様で豊富な資源を紹介するとなるとなかなか難しいのではないか。それをうまく紹介していると感じさせる例として佐渡や秩父などがあげられる(いずれも市なので規模の大きさでは県とは比較にならないが)。つまり資源がうまく“システム化”されているとでも言おうか。このことは観光バスツアー的システム化のことではなく訪れる人々のニーズを実現できる交通、宿泊、情報をフレキシブルに提供することである。そしてここで便利な移動手段を提供する交通の問題は特に重要であると指摘しておきたい。次は資源の有機的な“グループ化、ネットワーク化”であろう。新潟の保有する豊富な歴史、伝統文化、自然環境などの資源を訪れる者に分かりやすく魅力的にグループ化して知らせることである。訪れる人々は己の要求に従ってこれらの資源の“グループ”を組み合わせ“システム”によって行動することによって“手作りの”旅が出来ようというものである。この度の里山めぐりの旅では多くの様々な資料を頂いたが、その殆どは行政区ごとに纏められているので旅のさなかでは自分がどこにいるのか分からなくなりがちであった。帰ってきてこの感想文を纏めるにあたりこれらの資料を一覧した上で、新潟県の大地図に辿った道と訪問地点を記入し、それと個々の資料と突き合わせることによって今回の旅の概要を理解したのであった。つまり旅行者にとっては行政区ごとの資料に併せて、テーマ別にグループ分けされた資料とそれを繋ぐ旅程図、交通路線図と時刻表、運賃表などが必要とされる。つまり旅行者が旅を個性的に計画できる纏まった便利な資料が欲しいのである。 これまで仕事上或いは通過点としてなど様々な機会に新潟県を訪れることはあったが、いずれもスポット的で、本当の意味で新潟県を“訪れ”“理解する”機会は無かった。このたびのモニターツアーに参加したのはスポット的にしか分からなかった新潟をもっと良く知ることが出来ればと期待してであった。その意味でこのたびのツアーは新潟を知るための入口になり期待通りだったといえる。これを機会に新潟の歴史と文化の面に更なる関心を持って行きたい。最後にこのように有意義な機会を与えてくださった(社)新潟県観光協会と皆様、南魚沼市、魚沼市、長岡市、十日町市の関係者の皆様に深く感謝する。

     
以上
     
     
レポート4
神奈川県 岡夫妻さま
     


「にいがた花物語」モニターツアー*レポート

新潟県観光協会主催モニターツアーへの応募(参加)を夫から誘われた時、実はまったく気乗りがしなかった。2泊3日のツアーが無料のモニターってとても責任重そうだし、作文が大の苦手な私にとって、レポート提出も気が重い。仕事とボランティア活動でスケジュールびっしりだし、新潟ならスキーで何度も行っているし……と夫には一人で参加することを勧めた。が、夫はなおもモニターツアーならではの中身の濃さを強調して、私の同行を勧誘。とうとう重い腰を上げて参加することになったのである。

しかし、一日目の“味噌なめたか”関興寺にはじまって、三日目の当間高原ベルナティオまで、スケジュールびっしりのめまぐるしいツアーであったが、見るもの、食べるもの、そして歩く、体験するなど、思いがけず「にいがた」の奥深さを再発見する、驚きと感動の楽しい旅となって、参加できて本当によかったと心から感謝している。
旅が終わって、早速旅好き、山菜大好きの友人達に、豪雪に育まれた「にいがた」の自然や歴史、文化、食べ物、温泉について、今回仕入れた情報を駆使して語り、秋には入広瀬地区のそば・キノコ定食を味わって、日本三大薬湯の松之山温泉に泊まり、大厳寺高原の紅葉のブナ林を歩こうと提案している。 
さて、今回のモニターツアーで気がついたことだが、世の中こんなにも情報が溢れているのに、肝心な情報が手に入りにくいということ。インターネットで検索しても、本当に欲しい情報にたどりつくには、ある種のひらめきとかなりの時間を要する上、バラバラに点在している情報をつなぎ合わせて、ひとつの旅行プランに組み立てていくには、相当根気がいる。故に手っ取り早く○?会社の観光ツアーに乗ることになるのだが、それはそれとして、「にいがた花物語」ツアーのような、その地域ならではの個性的なプランの旅を望むとき、新潟県観光協会のHPから私たちの欲しい情報をリアルタイムでどんどん引き出すことができたら、どんなにうれしいだろう。例えば、春の花情報でどの地区でどんな花が咲くのか、カタクリは、桜は、どこで一分咲き、どこで満開か、秋の紅葉の見頃、きのこ情報できのこの採れる時期やおいしい店、きのこ汁にはこのお酒、新そばや新米情報など、あれもこれも知りたいことがいっぱいである。
丁度、一年前JR東日本ジパングツアーで、秋田県森吉山に友人と二人で参加し、ガイドの案内でトレッキングを楽しんだが、第一希望、第二希望の日程はすでに満員、やっと第三希望の日程で参加できたのだが、大厳寺高原などは最高のトレッキングコースだと思った。高原には花の種類も多く、オオイワカガミの群生、イワウチワ、タムシバ、イワナシ、おまけに冬眠から目覚めたヤマカガシなど、沢山のうれしい出会いが心に残った。
そして、中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村が、3年もの歳月を要したものの、いま復興の槌音高く、寸断された道を改修し、棚田に水を張り、闘牛を再開し、世界の市場に向けて錦鯉を送り出そうとしていることを目の当たりにして、一度は自然の巨大な力で押しつぶされた村を再び人の手で修復し、この地に住み続けることを選択した旧山古志の人々の   強い意志に、人として生きる感動と勇気をもらったのである。
豪雪に象徴される途轍もない大きな自然の力と恵みの大地、それが新潟があることを全身で感じた3日間のツアーであった。