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更新日:2016年3月4日

佐渡金山遺跡

金と銀の島、佐渡

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佐渡金山は、近世におけるわが国最大の金銀山です。
開発は慶長初期にさかのぼるといわれています。
江戸時代を通じて、幕府直営のもとに開発され、幕府の重要財源でした。
慶長・元和・元禄時代を最盛期として盛衰を繰りかえしました。
明治維新後、政府は洋式の技術を採用して近代化をはかりましたが、明治29年民間へ払い下げられ、今日にいたっています。
町のなかには、金銀山にかかわる様々な史跡と、そのなかで暮らした人々の文化のあとが数多く残っています。

【道遊の割戸】
佐渡鉱山の優良鉱脈の一つである道遊鉱脈の、江戸時代の露天掘りのあとです。
慶長の初めころ、金銀を求めて人々はこの山の前や後からたくさんの坑穴を掘り、鉱脈を追いました。
金掘大工の握る鐙が、何年・何十年の歳月の間に山を掘りくずし、二つに断ち割りました。
頂上部の裂け目の間隔は約30m、深さ74mあります。

【宗太夫間歩】
1601年の佐渡金山発見と共に開発された同鉱山最古の父の割戸下の割間歩は、慶長9年初代佐渡奉行、大久保石見守長安によって定められた直営坑36ヶ所の一つで、同鉱山中最大最良の鉱脈です。
宗太夫は、この割間歩坑の中の一鉱区であり、数多くの佐渡金山鉱区の中でも大型坑道で、鉱石の運搬や排水作業の便等を十分考慮に入れて、その採掘稼働を、より効率的ならしめるように造られた斜坑道の典型的なサンプルでもあります。
坑口の高さ約3m、幅約2mで、地下は海面下に達しており、他の鉱区とつながる運搬坑道が縦横に走っています。

【鐘楼】
旧佐渡奉行所の時報鐘で、1713年5月に下戸浜で鋳造したものを現在の位置に設置し、6月6日九ツ時より撞き始めたものといわれています。
時報は始め奉行所に太鼓を置いて知らせていましたが、正徳2年に山之神で鐘を鋳造し、相川丸山に鐘楼を建てましたが、奉行所より遠いため現在の八百屋町に移し、この際に鐘自体も鋳造したといわれています。

【御料局佐渡支庁跡】
徳川幕府の直轄地であった佐渡金銀山は、明治時代になると明治政府に引き継がれ、外国人技師によって近代技術の導入による新しい鉱山経営がはじまりました。
鉱山は大蔵省、工部省、宮内省と所管がかわり、明治29年に三菱合資会社の手に移り、鉱山事務所となりました。
現在、博物館として使用しているこの建物は、宮内省御料局時代に建てられたもので、屋根瓦に菊の御紋章がついています。

基本情報

所在地

佐渡市相川地区

交通アクセス

●両津港より車で60分
●小木港より車で60分
●赤泊港より車で60分

備考

【国指定記念物(史跡)】
●名称:佐渡金銀山遺跡、道遊の割戸、宗太夫間歩、鐘楼、御料局佐渡支庁跡
●指定年月日:平成6年5月24日

お問い合わせ先

お問い合わせ先名称

佐渡市世界遺産推進課文化財室文化財

電話番号

0259-63-3195

ファクス番号

0259-63-3197

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