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1999・7・23 (1日目)
本格的な夏がやって来ました。作家取材シリーズ第3回は夏の海辺とアルプスを巡ろうという欲張りメニュー。タイへの取材旅行から戻ったばかりの角田さんですが、元気一杯、北アルプス蓮華温泉でのミニトレッキングも快く引き受けて下さったのです。が、、、取材前日、私がダウンしてしまいました。早すぎる夏バテか胃痙攣と発熱、しかし、取材同行は何としても行かなければ。何だかドラマの主人公になったような気分(ああ勘違い!)で、ふらふら自分の身体じゃないような感覚で長岡駅へ辿り着き、東京からの新幹線を待ったのでした。
出口で皆を待つのも座っているのがやっと。迷惑をかけないように3日間取材アテンドができるかの不安に苛まれ、かなり辛い一時を過ごしましたが、2ヶ月ぶりの取材クルーとにこにことした笑顔が印象的な角田さんと合流、頑張らなきゃ!と自分を奮い立たせたのでした。
レンタカーに乗り込み(もちろん運転は上村マネージャー。)最初に向かったのは、県立近代美術館。ここで角田さんにお見せしたかったのは、佐藤哲三の農婦の絵。本県出身の画家の中でも、とりわけその作品の力強さと対象の内面を浮かび上がらせる洞察力と描写力とを持った夭折の画家の作品のうち数点がここ近代美術館に収蔵されています。夏の特別展期間中のため哲三の絵は開架中ではなく、バックヤードに在りました。普段入ることの出来ない館の裏側に特別に入れていただき、小見学芸係長の案内で作品を見せていただきました。小見さんは哲三研究の第一人者でもあり、彼の生い立ちや作品の特徴、時代背景を静かに語りながらの充実した見学。いくつかの作品のうち角田さんがとりわけ長い時間見入っていたのは、やはり農婦を描いた作品でした。
バックヤードから出て屋外の彫刻群と信濃川河川敷を眺め、くわっと照りつける夏の太陽を改めて肌に感じ、昼食は長岡市内のへぎ蕎麦屋さんへ。暑い夏に喉越しとシコシコ歯ごたえ抜群の、中越地区名物ともいえる布海苔入り蕎麦は、本当に美味しい。(私は、蕎麦湯をすするのがやっとでしたが。)食欲があるって大切なことです!
腹ごしらえも万全、次は酒蔵へと向かいます。長岡市の隣、小さい町ながら蔵元が3軒ある三島町の中川酒造さんへ。大正期の蔵が残り、蔵元の目印ともいえる杉球がさがる蔵の内はひんやりとするほど。貯蔵タンクや蔵の命ともいえる湧き水を見せていただいた後、中川酒造杜氏・佐藤源司さんと、河忠酒造杜氏・郷良夫さん、高橋酒造杜氏・平沢清一さんから、酒造り唄を聞かせていただきました。かつて酒造行程の作業を効率よく進めたり、蔵人たちの気持を揃えたり奮い立たせたりするために歌われてきたという酒造り唄。朗々と蔵に響き渡る作業唄は、蔵人たちの英知の結晶でもあったようです。いくつまで数えると米研ぎを止めるとか、この唄が終わると仕込みも終わりとか、櫂で大桶を突くために皆の力をあわせタイミングを図るにはこの唄、、、と、あらゆる作業工程を司っていた唄の数々。酒造行程の近代化と杜氏の高齢化によってこれらの作業唄は既に蔵の中で歌われることが無くなってきているのです。
腹ごしらえも万全、次は酒蔵へと向かいます。長岡市の隣、小さい町ながら蔵元が3軒ある三島町の中川酒造さんへ。大正期の蔵が残り、蔵元の目印ともいえる杉球がさがる蔵の内はひんやりとするほど。貯蔵タンクや蔵の命ともいえる湧き水を見せていただいた後、中川酒造杜氏・佐藤源司さんと、河忠酒造杜氏・郷良夫さん、高橋酒造杜氏・平沢清一さんから、酒造り唄を聞かせていただきました。かつて酒造行程の作業を効率よく進めたり、蔵人たちの気持を揃えたり奮い立たせたりするために歌われてきたという酒造り唄。朗々と蔵に響き渡る作業唄は、蔵人たちの英知の結晶でもあったようです。いくつまで数えると米研ぎを止めるとか、この唄が終わると仕込みも終わりとか、櫂で大桶を突くために皆の力をあわせタイミングを図るにはこの唄、、、と、あらゆる作業工程を司っていた唄の数々。酒造行程の近代化と杜氏の高齢化によってこれらの作業唄は既に蔵の中で歌われることが無くなってきているのです。
3曲ほど唄を聞かせていただいた後は、利き酒の仕方を杜氏さんたちから直伝。どうして利き酒用のお猪口は白くて底に青い円が入っているのか、本当に美味い酒はぬる燗で、とか、つまみはとか、日本酒は何故冬に仕込むのとか、等等酒談義は続き、角田さんのお酒もくいくいっとすすみます。色、香り、味、辛酸甘苦渋全てを含んだ酒の風味は、かつて唄によって醸し出されていたなんて、、、酒造技術の奥深さと味覚に対する日本人の繊細さを改めて感じさせる杜氏さんたちのお話でした。
車は内陸部から、日本海岸沿いへ。かつて金山の金が佐渡から渡った要衝として天領に指定されていた出雲崎はまた、良寛の生誕地でもあります。国道402号沿いの海岸に面した「出雲崎
天領の里」には、海岸から海へと延びるブリッジがあります。いつからかこのブリッジの欄干にカギをかけたカップルは結ばれるといわれ、あたりはびっしりと ちょっとやそっとじゃ外れない南京錠、2人の名前やメッセージ入りのカギ、カギ、カギ。。。 思わず、もし別れたらこのカギ外しに来るのかなぁ等と余計な世話を焼く一行でした。夏の日本海は本当に穏やかで、鏡のような海面が空まで永遠に延びているようです。海岸沿いの国道を車はひた走り、景勝美で知られる柏崎の福浦八景や米山の美しい山姿を望みながら、大潟町へと向かいました。
大潟町には隣の上越市高田出身の童話作家・小川未明が彼の代表作の一つである「赤いろうそくと人魚」のイメージを広げたともいわれる伝説の人魚塚があるとされています。鵜の浜温泉に近い雁子浜に伝わる悲しい伝説を教えてくださるのは地元の伝説に詳しい平原周治さん。平原さんに雁子浜の人魚塚公園でお話を伺いました。暑かった1日でしたが海辺は少し風が涼しく感じられるようになり、角田さんはこの地域に伝わる言い伝えに海を臨む公園の人魚伝説の碑脇に座ってじっと耳を傾けていました。佐渡島の娘と浜の男が恋に落ち、毎夜娘は男に会うため小舟を漕いでやって来るようになります。娘のため毎夜浜辺の常夜灯に火を灯しに行く男。しかしある時この逢瀬に気づいた男の母親により、男は灯りを灯しに行くことを禁止されてしまいます。翌朝男が浜辺に行くと、娘の亡骸が横たわっていた。。。 少しずつその内容は異なるようですが、この辺り一帯から佐渡・柏崎のお光・吾作の悲話に至るまで多くの類似した言い伝えが残っています。平原さんが、昔話の多くは似通っているものでしょうね、庶民の暮らしの中での小さな願いや想いは、どこでも誰にでも同じようなものなのでしょうねと静かに言われたのが、とても印象に残りました。
未明の「赤いろうそくと人魚」の冒頭、ご存知ですか? 人魚は暖かい海の底に住んでいるばかりではありません。冷たい海の底にも人魚は暮しているのです。鈍色の冷たい海の底にも住むという人魚が、地上で味わう悲しみの深さを想起させずにはおれません。
公園の碑は新しく建てられたものということで、古くからの言い伝えの人魚塚を見に行きました。現在の浜辺からは少し離れた小高い丘の畑の奥に、小さな苔むした比翼塚が熊笹の葉に覆われるようにして在りました。海からの風にさわさわと音をたてる笹の葉の揺れを見ながら、その塚が果たして本当に悲しい女の魂をなぐさめるためのものであったのかは、余り関係の無い事のように思えました。誰のために何を想って暮らすのか、その想いはいつの時代にもどんな境遇であってもあまり違いは無いのかもしれません。。。 皆、ただじっと、塚の辺りを見つめていました。ふと気が付くと、夕焼けの色が広がり始め、急いで浜辺へと戻りました。どこまでも続く夕凪の海岸線に大きな黄金色の太陽が沈んでゆく瞬間、橙と桃色と朱色と濃赤と藍色と、、、様々な色が封じ込められたような空と海の色。それはあの、佐藤哲三が描いた農婦の頬の色とだぶって見え、色の辞典を開きたい心境でした。角田さんは波打ち際に佇んでずっと海の向こうを見つめ続けていました。角田さんの美しい描写をご紹介します。
”あたりの木々の色がふいに金色の濃度を増し、日暮れどきであることを知って、丘を駆けおり海岸を目指した。まさに赤みを帯びた金色の太陽が、遮るものの何もない海岸線にゆっくりと吸いこまれていく瞬間だった。めいっぱい光り輝く夕陽は、湖面のように静かな海に長い、金色の帯を垂らして、満足気に海に沈んでいく。私の想像もつかないくらい昔から、太陽はこの場所に沈み続けてきたのだ。そして私はふと考える。
だれかがだれかを想う、それは遺伝子みたいに受け継がれてきたのではないか。だからきっとわたしたちは、だれに教わるでもなくひとを想うことを知っている。太陽が完全に海に沈んでしまってもなかなかその場を離れることができなかった。。。。。。”
鵜の浜温泉のホテル三景さんへ戻り、地の魚を中心にした懐石風料理を堪能しました。角田さんはしきりに全部食べきれないことを悔やんでいました。(私は、おかゆを作ってもらい、ようやく茶碗四分の一ほど喉をとおりました。2日ぶりのごはんは、胃に染み渡りました。。。 人間喰わなきゃイカン!!! ですね。)
1999・7・24 (2日目)
今日も朝から、くわっと夏の太陽が照りつけています。暑い1日になりそうです。上越市内に向けて車は出発。ホテルから望む日本海はキラキラと朝の光を受け、鏡のように凪いでいます。最初に向かったのは高田の旧市街にある竹田靴履物店。ご主人の竹田亀吉さんは雪下駄というこの地方独特の一本歯の下駄を作る職人さんです。かつては十数軒あったという雪下駄屋さんも今では、竹田さんただおひとり。つまり竹田さんは日本にたった一人、(ということは世界でたった一人ということでしょうか)重く湿った雪でも歩きやすいようにと工夫された履物を作れる方ということになるのです。小柄な竹田さんが、まるで魔法のように削り出す雪下駄づくりの作業と、雁木というやはり重く湿った雪が数メートルも積るこの地域一帯ならではの雪道を歩く工夫が凝らされた特有の軒先が作り出す日陰とを交互に見やりながら、人々が日々の生活、暮らしの中から生み出してきた知恵を伝え続けるけることの意義とは何なのかを考えさせられているようで、新潟出身の作家・坂口安吾の「文化とはふぐを食べることである」というフレーズが頭を過ぎりました。角田さんはまるで孫のように竹田さんの脇に座って、ずっと作業を見つめていました。
角田さんのエッセイの描写です。。。”一片の木から手品のように削られていく雪下駄、それらのなかに、きびしく荒涼とした冬を生き抜いてきた人々の知恵や想いが、その長い時の流れとともに、ちらりとあらわれてはおもての真夏の陽光に溶ける。夏と冬を繰り返し、抗いようのない自然の中でそっと人々が守ってきた暮らしが、初めてこの場所を訪れた私のなかを一瞬にして駆けめぐる。”
そっと守ってきた暮らしの重さを、ふとした瞬間に垣間見れるのも旅の魅力なのかもしれませんね。
竹田さんのところをお暇し、続いて「四・九の市」と呼ばれる定期露天市が立っている小路へと向かいました。新潟県内には現在でも60ほどの定期市が立ち、地元の農家の方や市専門の露天商の方々が店を連ねます。上越市内には3つの市が立ち、新鮮な朝採り野菜や手作りの漬物、笹団子やお餅、海に近い市らしく、海産物や漁港で競り落とされた魚等など、、、あれこれと並べられています。取材日がちょうど4の付く日にあたったので、すっかり主婦感覚、百件余りが軒を連ねるという市へと繰り出しました。市に繰り出すにはやや時間が遅かったらしく(8?9時頃には買出しに来ないと、ダメよ!とはおばちゃんの談)、既に店をたたみ始めているおかあさんたちも。野次馬根性も手伝って、各店をせっせと見て回りました。やはりこの季節目を奪われるのは、みずみずしい朝採り野菜の数々。多少いびつなカタチですが、大っきくて真っ赤なトマトやとげがチクチクするきゅうり、つやつやのナス、、、取材中なんてことすっかり忘れて、ついつい籠盛りの野菜に手が伸びてしまいます。角田さんは、”うーーん、明日の夕方東京に持って帰るんだから重いんだけど、、、”と言いながらも、トマトと地物のニンニクをゲット! いかにも真夏らしい市場のお買い物となりました。
市場の野菜たちを見ていたらお腹も空いてしまいました。お寿司屋さんに入って、お寿司と、、、”くぅ?っつ、このニオイたまらん! ウナギ食べたい!” と、これって邪道だといいつつも、うな重も注文する角田さんとカメラマン尾形さん。やっと玉子のお寿司が食べられるまでに体調が回復した私は、やっぱり食い気が生命を守るってことを痛感した次第でした。 お腹もいっぱい、市の戦利品も満足、ついつい取材だということを忘れてしまいそうな一行でしたが、気を引き締めて次の取材先春日山へと向かいます。
智将・上杉謙信の堅牢な城跡としてもしられる春日山城の中腹にある春日山神社は、童話作家小川未明の父・清澄が上杉謙信を奉り建立した神社です。現在宮司を務める小川清隆さんは未明の甥に当たる方で、神社の傍には未明の資料館も小さいながら建っています。小川さんに未明の思い出や神社の歴史等をお聞きし、資料館も拝見させていただきました。資料館は未明の初版本等も収められ、キッチュで愛らしい装丁に見入ってしまいました。残念ながら訪れる方が少ないのか、館内は閉めきられた空気の匂い、資料も雑然と配置されていましたが、未明が子供たち、そして大人に伝えようとした寓話の数々をもう一度見直すべきではないかとの感を強くしたひとときでした。実は今回の取材を角田さんが引き受けて下さったときに何か細い糸が繋がっていたように感じていたのです。未明の親友であった作家・坪田譲治、角田さんは坪田譲治文学賞を受賞され本格的に文壇デビュー。子供の頃の記憶を今の自分に重ね合わせるように描写する独特の文章表現や言葉の巧みさ、筆致力は日本のアンデルセンと評される未明が描いた童話世界とどこかオーバーラップするような気がします。
今回はゆっくり観ることができませんでしたが、この春日山城址は恐らく中世城郭の遺構としては他に類をみない規模。謙信の人物像とも併せ、魅力は尽きないところです。県内には謙信ゆかりの地や上洛、関東攻めの道、さらには”敵に塩を送る”の故事でも知られる終生のライバル武田信玄に塩を送ったとされる道を辿ることも出来、糸魚川から長野県へと続く道を歩くイベント等も開催されています。
続いては糸魚川へ。車はトンネルだらけの北陸道を進みます。右手には青い海と青い空と白い雲。まるで子供の頃の夏休みの日記帳の思い出そのもののような光景が続いています。糸魚川ICで高速を降り、市街地へ。最初に向かったのは糸魚川出身の文学者であり良寛研究の第一人者としても知られる相馬御風(そうまぎょふう・明治16年生まれ)記念館。御風は童謡「春よ来い」や早稲田大学校歌「都の西北」の作詞者でもあります。記念館前で地元の文化・歴史にお詳しく、塩の道を歩く会会長も務めておられる土田孝雄さんと合流、土田さんのていねいなご説明をお聞きしながら市内の名所を巡りました。
記念館では御風の書跡等をはじめ、良寛研究家としての足跡、良寛が大切にしていたという手毬などを見学し、御風の生家へ。木造二階建ての生家は応接間、書斎などが生前のままに残り県の史跡にも指定されています。玄関には打ち水がされきれいに掃き清められ、訪問者を心から歓迎していてくれるような感じがしました。当たり前の事、、、ではないですよね、こうした気遣いこそが人に来ていただく施設の原点と改めて思ったひとこまでした。続いて訪れたのは「谷村美術館・玉翠園」。文化勲章受賞彫刻家・澤田政廣氏の仏像彫刻作品を、同じく文化勲章受賞建築家・村野藤吾氏の設計によりシルクロードをイメージして造られた建物内に配置し、曲面を多用した幻想的な石窟を彷彿とさせる美術館と、美術館に併設された庭園・玉翠園にはヒスイの原石も展示されています。
糸魚川は由緒ある神社や祭りが今も残る地でもあります。「古事記」には、越の国(のここ、糸魚川)に賢く美しいと評判の奴奈川姫がいるとの噂を聞いた大国主命は、はるばる求婚に来たと伝えられ、この奴奈川姫と大国主命(この地では八千矛命)を祀った神社が奴奈川神社。2人のラブロマンスにあやかって恋愛成就、子宝・安産祈願に訪れる人も多いとか。また、この奴奈川姫が身に付けていたのが日本国内ではこの地域でしか原石が採取されていない翡翠だったといわれています。天津神社は多くの指定文化財を有し、春の大祭に奉納される神楽は国指定重要無形文化財で、この大祭ではみこしのぶつかり合いも行われ、珍しい神事が大切に継承されています。
ちょうど夕暮れにかかりはじめ、土田さんとお別れし、昨日同様海岸へ。今日も夕焼け空と海に沈む夕日を堪能し、その後は花火に興じました。取材日程調整中からダヴィンチ編集の樺山ちゃん、呪文のように「花火、花火。。。 角田さんにさせてあげたいんですよ!」と強く主張していましたが、ホントは自分が一番やりたかったんじゃないのと思うほど、たっくさんの花火を買い込んでいました。30過ぎのイイ大人達6人して、花火に夢中。暗くなるまでずっと花火づくしでした。(だって、かなりの量だったんですよ、樺ちゃんは結構大胆なことします。。。)
予定時間をかなり遅れて夕食をお願いした割烹に到着。女将さんに事故にでもあったのではと心配していたんですよと言われ、まさか花火していたとは、とても言えませんでした。 ここでも、地物の海の幸を中心にほんとうに美味しいものを頂きました。ゲンギョというこの地域特産の深海魚の干物も登場、お酒の肴として最高です。角田さん、食べきれないことをこの日も心から悔しがっていました。食いしん坊なの、と言っておられましたが、作ってくれた人の心遣いを感じているからこそですよね。(でも、いろんなもの本当に美味しそうに食べている姿、やっと少し固形物が胃に納まり始めた私にはほんとーーーに羨ましかった。。。)
今日も無事取材日程終了、国道148号を県境方面へと向かい、湯量豊富で新しい姫川温泉・ホテル国富翠泉閣で宿泊となりました。大きな露天風呂からは煌々と輝く月が見え、角田さん、編集の岸本さん樺山さん、そして私、4人してのんびりといいお湯に浸かったのでした。 そしてこの後、またまた事件が。。。 何と女性の更衣室に男性が! ○○知りませんか?と気色ばんで入口で話しておられますが、、、いくらなんでもここは脱衣場。。。 旅は何が起こるかわかりませんホントに。(どうやら奥様とケンカして奥様が宿の部屋を飛び出してしまったのだと、後で判明。奥様は無事見つかったそうです。お風呂場ではないところで。。。)
1999・7・25(3日目)
今朝も青い夏空が広がっています。取材最終日の今日は、北アルプス白馬岳の登山基地として知られる蓮華温泉まで登ります。標高1475mにある白馬岳蓮華温泉はロッヂ、キャンプ場があり6月下旬?10月下旬までは車で行くことが可能です。 途中、木地屋(日本各地の山を漂白しながら椀の木地づくりに携わってきた職人集団のこと)独特の家屋を復元した民俗資料館と木の器と山の味覚を楽しめる施設がある「木地屋の里」を通り、雲上の秘湯露天風呂としても人気があり、上杉謙信が開湯したとも伝えられる歴史ある蓮華温泉へ。
7つの露天風呂があり、昔から「蓮華の七湯」といわれ、北アルプスの雄大な眺望を望み「仙気の湯」「黄金の湯」「薬師の湯」「三国一の湯」などの湯めぐりが楽しめる個性溢れる山の温泉です。国道148号から車で登ること約40分、さすがは夏山シーズン真っ盛り。キャンプ場駐車場は車で一杯です。蓮華温泉ロッジのオーナー田原さんに案内いただき、七つの湯をめぐるミニトレッキングを体験しました。この蓮華温泉周辺は北アルプスの展望と高山の自然を楽しめるアスレチックコースとして蓮華の森自然歩道も整備されています。(このコースは1周約5km、2時間30分。)
7つの湯の中でも特に眺望が素晴らしく、朝日岳や小蓮華岳を一望できる人気の雲上の露天「仙気の湯」は満員。留学生だというアメリカ人の男性は、素っ裸で”HELLO!” どうせなら美しく雄大な北アルプスの眺めの方が。。。どうも昨晩から裸に縁があるようです。7つの湯はいずれもあまり大きくありませんが、みな泉質が異なり温度も違っています。せっかくこんな秘湯に来たものの、さすがに脱衣場も仕切りも無い開放的な環境は、ちょっと入浴には勇気が要りました。手や足だけをお湯に入れてひとまず7つの湯を制覇、ロッヂにもどり正しい山小屋の食事という感じで、カレーライスをいただいた一行。
それにしても、さすがにこの標高まで来ると本当に空が近いと感じます。アルプスの山姿の緑色も残雪の白も、空の青もみんなくっきりと、自分の色を主張しているようです。山に魅せられる人の気持がちょっと分かったような気がします。ちっぽけな自分の、ちっぽけな悩みや思うように行かないことがすうっと、いつも見ているよりずっと近くにある空に飲み込まれて行ってしまうようで、たった数時間の雲上の別世界を満喫した夏の日でした。私達がロッヂ前で爽快な風景を満喫している間にもどんどんと登山、トレッキングスタイルの方々が登って行かれます。トップシーズンとはいえ、予想していた以上の人気(それも、どちらかというと年齢層がやや高めのグループの多さと元気の良さ)にちょっと驚きを隠せない取材班でした。
雲の上から下り、ヒスイ峡へ。糸魚川静岡構造線・フォッサマグナが縦断するこの糸魚川と隣の青海町だけに算出する鉱石がヒスイです。姫川、小滝川と青海川の上流域河床にはヒスイの原石が点在し、国指定天然物となっています。古来から不思議な魔力があるともいわれ、高貴な人物が埋葬された墳墓などからは多くの勾玉やアクセサリー類が出土されています。奴奈川姫の美しさを際だたせていたのもヒスイの装飾品だったことでしょう。ヒスイ峡は、日本有数のロッククライミングのゲレンデとしても有名な明星山の大岸壁が小滝川に落ち込んだ清流に在り、古代のロマンと神秘を想起させてくれる景観の地です。切り立った渓谷の流れの中にヒスイの原石を見ることができ、皆でどれがヒスイか探してみたものの、判りませんでした。水の流れは速く真夏とはいえ冷たい清流は、北アルプスの雪解け水の清冽さを伝えてくれます。角田さんは、渓流の小石をぴょんぴょん飛んでみたり、水に手を突っ込んでは冷たい水の感触を楽しんだり...
やっぱり子供の頃の夏休み思い出をもう一度追体験しているような感覚に捉われたひとときでした。
夏の思い出もそろそろ終わりが近づき、車は糸魚川駅前へ。おみやげを買おうということになり、駅前のヒスイ王国舘へ。糸魚川と近郊のおみやげが揃っています。ヒスイは眺めるだけにして、、、私が角田さんにお奨め下のは"マキノの飴”。昔ながらの手作りの飴で、ひとつ口にいれると20分は楽しめます。飴を口に入れて電話でもかかってこようなら大変! ”はひ、もひもひぃ?”って感じです。味にあわせて色もたくさん。すんだみどりいろや赤、黄色、黒糖やチョコレート...
市内にあるお店を訪ねると昔ながらのガラスケースの中に色とりどりのあめ玉がいっぱいで、スコップですくって量り売りして下さいます。小さい頃大好きだったアニメ「フランダースの犬」の中でよくネロがお金持ちの女の子(でもとってもかわいいガールフレンドでしたよね。)からもらって口にほおばっていた赤いあめ玉、、、あのシーンをいつも思い出します。(年がばれちゃいますね!)
新幹線に乗るため長岡駅までちょっと長めのドライブとなりました。糸魚川駅前で角田さんが書いてくれた葉書の言葉がずっと頭の中に残っています。(葉書はこの作家企画の全ての作家さんに旅先からの絵葉書を送ってもらうものです。最後にみんなまとめて読むのもきっと、書き下ろしのエッセイとはまた違った魅力が詰まっているような気がします。) ”子供の頃からのしあわせな旅行体験を、少しずついっぺんに思い出すような妙に懐かしい場所でした。” 何の心配もなく親に導かれるまま行った夏の旅行を思い出すような。。。本当にそんな感じでした。 そうそう、追伸もあります。 ”胃袋のスペアが無いことが悔やまれる??。” 本当ですよね。特に私は、ようやく帰る頃になって食欲が戻ってきましたので。。。 それはそうと、角田さんが眠ってないのに、ぐうぐう寝てるのは、カメラマンの尾形さんと樺ち
ゃん!
ついてある記 第3回 おわり。 文責:たま
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