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「美しく優しい、祈りと悲話の島」「作家が綴る新潟見聞記」<第2回> 佐渡の旅 〜信仰と伝説の息づく島。晩春の佐渡。〜

「美しく優しい、祈りと悲話の島」


ルート行程
スペース

1999年5月25日(1日目) :新潟空港−(旭伸航空にて)−佐渡空港?両津市 内海府海岸経由 「二つ亀、大野亀、賽の河原」−相川町 外海府海岸経由佐渡金山(ゴールデン佐渡・金山資料館)、春日崎にて 夕日落ちる光景−文弥人形 鑑賞 「山椒太夫 親子対面の場」−相川町 春日崎温泉(泊)

1999年5月26日(2日目) :相川町 佐渡版画村美術館−大佐渡スカイライン−乙和池−大佐渡スカイライン−国仲−梨の木地蔵−小木町 小木港 たらい舟、岩谷洞窟 磨崖仏、千石船展示館・小木民俗博物館、宿根木集落・保存民家−赤泊町 民話の語り 「蝶化身」ほか−真野、国仲方面経由−両津市 諏訪神社 能舞台−佐和田町 八幡温泉(泊)

1999年5月27日(3日目) :佐和田町 佐渡博物館、妙照寺、実相寺−金井町 正法寺 世阿弥雨乞いの面 拝観−新穂村 清水寺、新穂村歴史民俗資料館−両津港−(ジェットフォイルにて)−新潟港−新潟空港



【今回のルート(オレンジ色の線)】  

  

【有栖川さんが自分に宛てたハガキ】

 

 

 

 

【牡蠣の養殖で知られる加茂湖】

 

        

【大野亀・二ツ亀】

季節になると、一面にカンゾウの花やハマナスが咲き乱れ、その風景に彩りを添える。

 

【賽の河原】

ニツ亀から海岸伝いにニツ亀探勝路を大野亀の方へ行くと、途中に賽の河原の洞窟がある。

 

 

【尖閣湾】

北欧のフィヨルドに似ていることからその名が付けられたという尖閣湾。

 

 

 

 

【佐渡金山(ゴールデン佐渡)】

 

【春日崎の夕景】

 

【梶原宗楽太夫(義太夫)】

梶原さんが日夜練習し、それでも思うように芸を披露できないと語る姿に「居住まいを正したくなった」という有栖川さん。

【佐渡版画村美術館】

 

【乙和池】

 

【梨の木地蔵】

子供の病気やケガを治すといわれている「身代わり地蔵」は、願いが成就した人たちが持参するもの。

 

 

【たらい舟】

 

 

【重要伝統的建造物群保存地区に指定された宿根木集落】

【大岩みどりさん】

「爪の沢蝶ねぇ」「猿になった夫婦」を語ってくれた大岩さんの表情は、いきいきと美しかった。

【真野湾と夕日】

【椎崎神社能舞台】

この日はちょうどかがり火を灯していた。佐渡には能舞台があちこちにある。

 

 

 

 

 

 

 


【佐渡博物館】

【正法寺】

境内の大きな老木の根元に世阿弥太夫腰掛石が残っている。

【清水寺】

京都の清水寺を模して建立したといわれる寺。


 

 

 

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「美しく優しい、祈りと悲話の島」
☆取材同行 ついてある記

  1999・5・25 (1日目)

 激しい風の音に飛び起き、時計を見ると朝5時少し前でした。 「ああヤバイ! 飛行機が飛ばない。。。船も無理だ。。。」 作家取材シリーズの第2回目は、佐渡。この荒れ模様では大幅な日程変更を行わなければならない……。胃がギュウッと縮まっていくのが判るほどでした。日本のエラリー・クインとも称される有栖川さんに佐渡を描写してもらえるチャンスなのに……。

 ご存知の通り、佐渡はかつて流人が流された日本海の離島。島へと渡るにはカーフェリー、ジェットフォイル(高速水中翼船)がポピュラーですが、もう一手段として9人乗り飛行機で新潟空港から佐渡空港へと飛ぶことができます。太宰治が船で佐渡へと渡った際に、そのあまりの大きさに驚いたとの描写もあるように、想像よりははるかに大きい島、佐渡。 佐渡は初めてという有栖川さんに、できるだけ多くの時間佐渡にいて頂こうとの考えは、もはや風前のトモシビ。。。ニュースでは風速30メートル程の強風と伝えられ、風がおさまる気配は感じられません。しかし、伊丹空港に照会したところ新潟への飛行機は予定通りフライトとのこと。天気は西から、とすれば。。。そんな一縷の望みを抱いて、佐渡行きの飛行機を運行する旭伸航空に恐る恐る電話を入れたのでした。”ちょうど、10:00佐渡発のフライトを決めたところです。このまま天候が回復すれば折り返し佐渡へ飛びます。恐らく大丈夫でしょう。” 思わず、神様ありがとうございます! と叫んで新潟空港へと向かいました。

 上空はまだ厚い雲が垂れ込めているものの、確かに西の空は明るく、朝に比べるとかなり風も弱まってきています。定刻どおりに新潟空港へと到着した便の乗客の中に、ビジネスマンとは雰囲気の異なる背の高い長髪の有栖川さんの姿を見つけました。

 風がひどく、飛行機が飛ばないのではとの心配や、取材中の天候を懸念しているとお話しますと、優しく微笑んで、”大丈夫ですよ。大阪は晴れていましたし、新潟空港に降りるほんの手前までいい天気でしたよ。”と、有栖川さん。その優しい気遣いに、緊張が一気に解けていく感がしました。

 東京からの編集取材クルーも新幹線の遅れが若干あったものの、無事取材メンバー全員集合。いよいよ、9人乗り有視界飛行によるアイランダー号に乗り込んだのでした。 朱鷺のイラストが描かれた飛行機のプロペラが起こす風は、海水面をささくれのように波立たせ海と空の間に島影がくっきりと見え始めました。たった20分で到着する佐渡は雨も止み、空が明るくなり始めていました。どうやら予定通りに取材日程をスタートさせることができそうです。

 昼食は牡蠣の養殖でも知られる加茂湖畔に面したレストランで。新鮮な海産物を使った釜飯が美味しく、腹ごしらえもバッチリ。いよいよ島の最北端、奇岩としても知られる二ツ亀、大野亀へとレンタカーを走らせます。

 5月の終わりの佐渡は、夏の喧騒に包まれる頃とはかなり印象が違い、両津港から内海府海岸沿いの道はダイビングスポットとして知られる北小浦や寒ブリ祭りが初冬に開催される鷲崎、オートキャンプ場・ログハウスで夏は大人気のはじき野フィールドパークがある弾崎灯台までほとんど車とすれ違うことも無く、取材班一行のためだけに道路が用意されているようでした。

 島の突端にある二ツ亀は、大野亀と並んで知られる海岸景勝の地。景観の雄大さと海の透明度は島内随一、海水浴・キャンプの好適地で2匹の亀がうずくまっているように見える「二ツ亀」、巨大な一枚岩からなり初夏のカンゾウの花の群生で知られる「大野亀」を結ぶ海岸沿いには遊歩道があります。有栖川さんにぜひこの遊歩道をご案内したかったので、まだ少し風が強い島の海岸沿いを取材陣一行は歩き始めました。遊歩道脇にはハマナスが咲き始めており、どこから現れたのか猫がひょっこり姿をあらわし、しばらく道案内でもするかのように少し前を歩いていきます。(この猫、その後ふっと姿が見えなくなったのです。。。 ???)

 この遊歩道は願(ねがい)という集落まで続いていますが、この遊歩道のちょうど中ほどにあるのが「賽の河原」。有栖川さんの表現をおかりすると ”海原に色とりどりの風車が回り、お地蔵様が一面に立ち並んだこの世と冥府の境なのだが、そこすら恐ろしいどころか、愛すべき祈りの箱庭。” 幼くして死んだ子供の魂がここに集まると信じられており、小石を積んだ塔や小さなお地蔵様が無数に並んでいます。海の侵食によって深く切り込まれた天然の祠のような洞穴に一体の観音様が立ちその周囲には無数の小さな石地蔵や願いを込めて積んだ小石、風車が並ぶ空間は海に立つ岩との間に〆縄が張られ結界を結んでいます。横溝正史の世界ならば怨念と悔恨の情念が渦巻く”ドロドロ??”っというBGMが支配するのかもしれませんが、有栖川さんが表現されるとおり、不思議な優しさと切なさが支配する空気感に満ちています。佐渡島内でも北突端にあり気軽に足を運べる場所ではないかもしれませんが、機会がありましたらぜひ訪ねていただきたいところです。外海府の勇壮な海岸景勝美と厳しい自然の前で、小さき生命への慈しみいとおしみの想いを大切にし続けてきた人々の日々の暮らしが想起される地と思います。

 空が随分と明るくなり、海も穏やかになり始めました。外海府の海岸線沿いは岩礁と山肌が迫る間を縫うように走る道が唯一の交通路。すれ違いが難しい道幅はドライビングテクニックを要求されるところ。わが取材班の生命を預かるのは、じゃらん旅行デビジョンの優秀なる営業・上村マネージャー。営業のウデだけではなく運転の技術も問われるなんて、大変です!大ザレ川にかかる海府大橋から下を見下ろすと、まさに断崖絶壁。変化に富んだダイナミックな景観が広がります。高所恐怖症の私は、足がすくむばかり。。。 確かに海の蒼さは例えようも無く美しいのですが。。。。。。

  道路の幅が少し広くなり、路線バスとすれ違いました。バスから降りたおばさんや畑で仕事をするおばあさんをみつけた有栖川さんが、「元気なおばあさんを見かけますよね。そういえばおじいさんに全然会わないけど、どこに居るんだろ?」 うーーーん。おじいさんもいるハズですが、そういえば今日は余りお見かけしてませんねぇ。

 外海府の道はやがて尖閣湾の侵食海岸美を右手に望むところへと。空は晴れ、5月の海は夏の深い青色とは少し異なった海の色に、午後の陽が反射しています。尖閣湾には遊覧船や海中透視船も運行する海中公園。映画「君の名は」の舞台として一定年齢以上の方には懐かしき青春の日を思い起こさせる地かもしれません。イカ釣りの漁港も近く美味しいイカが名物のこの辺りでは最近、イカ裂きや一夜干しつくりの体験もできるようになっています。マイブランドの一夜干しやイカの塩辛、いかがですか?

 観光地の典型という感じのご案内をしましたので、ややこだわりのお話を。この尖閣湾のはずれにある達者海岸は澄んだ海が美しい佐渡でも屈指の海水浴場ですが、この”達者”という地名には言い伝えがあります。ここは、離れ離れの辛く悲しい日々を乗り越え、母を探し当てた厨子王が母と再会し互いの無事、達者を喜んだ場所だからとか。近くには、悲しみの余り盲目となった母がここで目を洗ったところ再び見えるようになったとされる湧き水(鉱泉のようです、入浴施設もありますので。)と目洗い地蔵様が人々の信仰を集めています。

 佐渡島内に伝わる安寿と厨子王の話は、今日私たちが知る森鴎外「山椒太夫」のストーリーとは少し異なっています。佐渡へと売られ悲しみの余り盲目となった母は鳥追いをして暮し、いつも子供らの嘲笑の的となっていました。安寿恋しやほーやれほぅと詠う母に、安寿が来たとからかう子ら。佐渡に伝わる昔話では、ここに最期の力を振り絞りやっとの思いで娘の安寿は辿り着くのです。母に縋ろうとする娘を、また悪童たちがからかっていると思い込んだ盲目の母は、杖で娘を叩き、安寿は息絶えてしまうのです。

 庶民の心を捉えて離さなかったのは、ハッピィエンドの物語ばかりではなかったのでしょうね。そして、こうした昔話が古浄瑠璃等と融合した語り物が、佐渡特有の人形芝居「文弥人形」です。文弥人形は今晩、間近で見ることができるよう手配しました。詳しくは後述しましょう。

 相川の街中に入り、佐渡といったら先ず最初に思い浮かぶ、佐渡金山へ。佐渡金山を運営する(株)ゴールデン佐渡総支配人の嵯峨さんに案内いただき、坑道跡内部へと入りました。かなりの急勾配で地下へと降りていく坑道内はひんやりと冷たく湿った空気に満ち、照明が点いているものの暗く、途中には、江戸期の発掘の様子を再現し、リアルなロボットたちが当時の金山坑内を伝えます。嵯峨さんに説明をお聞きすると、江戸期の正確な地理学や数学・積算、測量技術に驚かされます。水替え無宿人の悲惨な話ばかりがクローズアップされ、ただ暗い坑道で固い岩盤を掘り続けていたような印象がありますが、当時の技術の粋を集めた科学的根拠に基づいた鉱山の歴史を改めて認識! でも、やっぱり、ロボットの台詞「なじみの女に会いてぇなぁ?」は、耳に残っちゃうんですよね。一同、やっぱり大笑いでした。

 ちょうど夕日が沈む時刻が近づき、夕日のビュースポットとして知られる春日崎へと向かいました。今日の宿泊もこの春日崎を望むホテル大佐渡です。

 ちょうど雲の切れ間が水平線との間に帯のように続いて、群青色の雲と海の間にオレンジとパープルの色が広がっていました。有栖川さんはじっと水平線に夕日が沈んでゆくのを見つめていました。エッセイでは”佐渡は、日本で最も夕日に近いテラスなのだと知った。”と描写しておられます。

 日も沈み辺りが宵闇に包まれ、一行はホテル内へと入りました。部屋では、文弥人形芝居の一部シーンを中村座・高野藤右エ門さん(人形遣い手)と、梶原宗楽太夫(義太夫)から演じていただくのです。いくつもある文弥人形演目のなかでも特に人気の高い演目「親子対面の場」。安寿と母親とが相川で再会する場面を義太夫の語り付で演じて頂くのです。梶原太夫が太棹三味線を構え、語りが始まりました。80歳を超えた梶原太夫の語りは艶やかで哀惜の響きに満ち、太棹の低い音色と共に再会の場面が佳境へと入っていきます。文楽では1体の人形を3人が操っていますが、佐渡の文弥人形は1人で操ります。人形の顔や手の微妙な動きは複雑な表情を伝え、安寿は三味線の音色と共に崩れ落ちるように息絶えてしまいました。あたかも人形には命が宿っているようで、有栖川さんも我々もしばらくはじっと伏せた人形の背を見つめ続けていました。

" この後、梶原さん、高野さんと夕食をご一緒させていただきました。梶原さんは少しのお酒が入ったこともあったのでしょうが顔を赤らめながら、”だっちかん、だっちかん”と頭を掌で軽く叩くようにしながらしきりに申されました。思うようにいかん、上手に出来ない、、、自らの芸に対し厳しく向かう姿と自分の曖昧で中途半端な日々とに恥ずかしさと悔しさとを感じずにはおれませんでした。有栖川さんもエッセイで ”とりわけ感銘を受けたのは、『安寿と厨子王』を語ってくださった梶原宗楽太夫と、文弥人形使いの高野藤右ヱ門さん。名人芸を拝見した後で食事をご一緒し、暖かい人柄にふれることができたことは旅の大きな思い出だ。八十歳を超えてなお日夜練習に励み、傲るどころか「だっちかんのです(思うようにいかん)」と繰り返す太夫の真摯な姿勢に接して、居住まいを正したくなった。” と書いておられますが、ピンと張り詰めた空気を醸し出せる芸への真摯な想いは、少しでも多くの方に知っていただきたいと痛切に思うのです。毎日、この演目を始め約30ほどの語りと三味線を練習されるという太夫の譜面にはびっしりと鉛筆書きの文字。芸を支える情熱はどこから生まれてくるのでしょうか。。。 なお、文弥人形の上演は、佐和田町のシルバービレッジ佐渡で毎日行われています。また、6月には人形芝居特別上演が新潟?両津航路のフェリー内で実施されています。(詳しくは佐渡観光協会へ。)"

 

1999・5・26 (2日目)

 翌朝は、朝から太陽が顔を覗かせました。まず始めに明治期の旧裁判所建物を利用した、全国でも珍しい版画専門美術館「佐渡版画村美術館」へ。版画家であり美術教師であった故・高橋信一氏は佐渡で人々に自分の身近なものを版画という技法で表現するよう指導、佐渡版画運動は今日も多くの会員が描写力、技法、色彩、いずれもアマチュアとは思えないような力量と作品数を生み出しています。こうしたアマチュア作品と高橋氏の作品が多数展示されているのがここ。古い建物やかつて時を告げていた時鐘楼、レンガ塀などと相まって趣きある風景を生み出しています。近くには、佐渡奉行所跡の発掘、復元作業が進み、平成13年からは一部公開が始まるそうです。

 昨日見た佐渡金山の脇を通り、鉱山露天掘りの跡である「道遊の割戸」を正面に見ながら車は大佐渡スカイラインへ。佐渡の最高峰・金北山(1172m)と妙見山を中心に全長30kmのパノラマドライブルート。全島を一望にできる眺めは壮大で、シャクナゲやツツジの咲く春から初夏、秋の紅葉と、海と空の青とが広がります。佐渡牛(これが美味しい!)の放牧地も道路脇の高原に広がり、のどかな風景も楽しめます。天気も最高、車窓からは爽やかな風が入ってきます。スカイライン途中にある「乙和池」へ。池の主に愛された娘が嫁ぐために入水したとの伝説が残る神秘的な池は、ブナや楢の木に囲まれひっそりと佇んでいました。この池には大きな浮島があり、高層湿原性浮島としては日本最大のもの。浮島が動くこともまた、伝説の神秘性を深めて行ったのかも知れませんね。有栖川さんはちょっと長めの枝を持って、振り回したりと、なんだかいたずら小僧みたいです。ゆったりした時間と自然が、子供の頃に還してしまうのでしょうか?

 スカイラインを下りきったあたりで、必見(?!)の看板を発見。「スピード違反はスルメー」「シートベルトは締めてアタリメー」、「食うカンあねさ」(佐渡おけさの菅笠を被ったお姉さんの口が空き缶入れの口になってる!) 一同、大ウケです。他にも佐渡ならではのユニーク標識、島内各地で発見できますので見逃さないで!

 車は国仲平野と呼ばれる平野部へ。コンビニやミスドを発見! 有栖川さん、「佐渡にはコンビニ無いかと思ってたよ。。。」 最近、出来たんですよ。 国仲の田園地帯を抜け、承久の乱で配流された順徳上皇ゆかりの史跡も多い真野町から小佐渡と呼ばれる南佐渡へと入っていきます。上皇の火葬塚といわれる真野御陵の脇を通って車は静平へ。道路の脇をはいったとろにある「梨の木地蔵」は、お社から周辺一帯、所狭しと石地蔵が溢れるように並んでいます。子供の病気平癒を必ず叶えてくれるといわれるお地蔵様に、願いが叶った親たちが小さな石の身代わり地蔵を持参したことから、それこそ無数の小さなお地蔵様があたり一面を覆い尽くすように並んでいます。今日でも身代り地蔵様を奉納しに参る人は多く、子を思う親の想いや信仰の篤さが痛いほど伝わってくるようです。お地蔵様のあまりの数に、皆言葉を失いしばし立ち尽くしてしまいました。

  真野、羽茂を抜け、小木へ。有栖川さんは佐渡取材と聞いて真っ先に思ったのはたらい舟だったとか。編集の岸本さん、どうしても有栖川さんにたらい舟を漕がせたいのだそう。。。エッセイ誌面を飾るのはたらい舟を漕ぐ有栖川さん?! その前に腹ごしらえということで、小木名物の手打ち蕎麦を。かつて漁師が船の上でも食べやすいようにと、浅目の椀にやや太目の手打ち蕎麦を盛り、濃い目のツユをぶっかけて食べる蕎麦は、蕎麦の香りと歯ごたえが抜群! お蕎麦屋さんは古い船大工の家の佇まい。軒先に下がっていたこの地域の昔からのおやつ兼保存食というつぶしたサツマイモをお餅のようなカタチにして干したものもお裾分けしていただくと、かみしめると甘味が口に広がって素朴な美味しさに満足、満足。

  いよいよたらい舟の乗船場へ。漕ぎ手のお姉さんと共に有栖川さんは舟上の人となりました。カメラマンの尾形さんは別の舟に乗り込み、有栖川さんの漕ぐ勇姿をいざ! といきたいところですが、漕いでみても櫂を軸にくるくると回ってなかなか進まないたらい舟。なかなか筋がいいと誉められ、苦笑いしながら何とか規定のコースを完走(完漕ぎ?)し、続いて小木国民俗博物館へ。小木港は文化・文政期を中心に佐渡金山の金積み出し、廻船業で栄えたところ。船大工や漁具・民具等の民俗資料3万点余りと、完全復元された北前型千石船白山丸が展示されています。屋内の千石船は大きくみえますが、今日例えば佐渡航路に就航するフェリーよりもはるかに小さなこの船で大海原に航海する姿を想像すると、廻船業のドラスティックな歴史への興味ががぜん湧いてくるようです。続いて、資料館の関連施設となっている宿根木の保存民家へ。廻船業と船大工の里宿根木は伝統的建造物保存地区に指定された、独特の街並み。3軒ほどの保存民家が公開され、特有の造りを見学できます。事前に資料館に申し込むことで、地元のおばあさんが家屋の特徴や歴史を説明して下さいます。船箪笥という特殊な箪笥は、外見からは判らない秘密の引き出しがあり、ここに重要な書類等を隠し船に乗せ航海したのだとか。万一船が遭難しても、よほどのことが無い限り箪笥は海上に浮かび漂着し、重要書類を守れるよう考えられていたとのお話に、有栖川さんも感心しきり。次のミステリーのトリックに使えるアイディアとなった。。。???

 今日は(も?)予定がぎゅっと詰まっています。続いて、赤泊村の民話の語り部の方にお会いします。赤泊はかつて日蓮や世阿弥が着いた地でもあり、港からは本土の島影が良く見えます。特有の伝統芸能や祭りも多く残る赤泊は、民話の里として地域の皆さんが地元の民話を語り継ぐ活動も盛ん。語り部のひとり大岩みどりさんのお宅にお邪魔し、民話の語りを聞かせて頂きました。「蝶化身」は村の男と恋をした蝶の悲しい恋物語、「両津の昔話から 親切な娘のはなし」は心優しい娘と強欲な継父母の話。これも有栖川さんの表現をお借りすれば、 ”?(略)?儚い夢のようだった。どれも悲しいが、怪談めいた恨み節ではない。心に響く短調の調べで、私たち日本人の心の魂の琴糸をかき鳴らす。それはもしかすると、島民たちが故郷を追われてきた人たちの悲しみを受容し、ともに悲しんできた心象に由来するのかもしれない。”  ??文学や語りという、言葉を使って表現できることの奥行き深さが伝わってきます。

 大岩さんのお宅を後にし、取材陣は再び国仲平野へと車を進めました。ちょうど真野湾が見えるカーブにさしかかると大きな夕日が海上に浮かんでいるところでした。皆で記念写真を撮ろうと車を路肩に止め、カメラマンの尾形さんがカメラを準備していると一台の車が脇を通り過ぎたところで止まり、女性が降りてきました。何事かと思っていると、「シャッター押しましょうか」と声を掛けて下さり、一同、感激する前に驚いてしまいました。何のてらいも無く声を掛けること、簡単そうで実はとても難しい。尾形さんなんて大感激! お言葉に甘えて全員集合写真を撮っていただきました。この写真を見る度に、あの夕焼けの色と1台の車が止まるシーンを思い出さずにはいれません。

 日もすっかり落ちた頃、両津市の椎崎神社能舞台へ到着。この椎崎神社能舞台は薪能が演能されることで有名ですが、この晩は特別に、この能舞台を使って芝居上演を予定する女優さんのリハーサルが行われ、舞台に篝火が灯されることになっていたのです。宵闇に橙色の炎がゆらめきパチパチと火がはぜる音だけが響いています。薪能を拝見するのも良いですが、篝火の炎と誰もいない舞台で幽玄の世界を想像するのもまた、不思議な感覚に支配されるよう。有栖川さんはしばらく炎に照らされた人気の無い舞台を見つめ続けていました。

 気が付くと、もう8時過ぎ。心底お腹空いた?? って感じで、目指すは佐和田町にある割烹”ちょぼや”さん。吉兆で修業したご主人と奥様でやっておられる小さなお店で、料理の味といい趣といい、絶対のオススメ。ただ、あまりお客様が多く入れるところではありませんので留意下さい。 何回か行っているはずですが、いつも誰かに連れられてだったこともあって、なかなか見つけられません。お腹が空いて、何となく不機嫌になる一行。。。 もうちょっと遅かったら怒りそうだったかも、、、寸でのところで到着。(アーー良かった!) 地の魚や山菜を使ったお料理に大満足。有栖川さんはお酒が呑めないとのことで、地元の蔵元の吟醸酒は他の人の喉にくいくいっと。 えびしんじょや鰈揚げ、お刺身、焼物、〆はモズク雑炊と、ハードスケジュールの1日の疲れを埋めてくれるような美味しさがお腹に染み渡ります。 さらに、この席では、とある事件が発生! 何と、上村さんが有栖川さんにケンカを売っちゃったんです! といっても、コトはとあるテレビ番組。関西出身の上村さん、学生時代真夜中のテレビ番組でやっていた「刑事コルチャック」って知ってますか?と有栖川さんに尋ねたのです。何やらミステリーとオカルト系の内容がかなり濃い目のアメリカの番組らしいのですが、見た記憶が無いという有栖川さん、絶対に調べると宣言!  おいおい上村さん、営業失格だよ。。。。。。  <なお後日談、ちゃんと有栖川さんはこの番組について調査、放映期間や内容等きちんとレポートしてくださいました。さすが!>  その後長らく、取材班で槍玉にあがったコルチャック事件はあったものの、本日も無事終了。八幡温泉ホテル八幡館に到着。阪神の勝利を祝って、眠りにつきました。

 

1999・5・27(3日目)

 朝から細かい雨がそぼ降る日となりました。はじめはホテルのすぐ近くにある佐渡博物館へ。歴史、民俗、自然・地理等を理解するのに最適な総合博物館で、ちょうどほんの少し前に2世誕生の吉報があった朱鷺の生態や、能の歴史、金山の状況をゆっくり見てから、日蓮上人ゆかりの妙照寺、実相寺へ。晩春の雨に濡れた古刹は、人気も無く茅葺き屋根の美しさが際立つようです。  

 続いて、世阿弥が付けて雨乞いの舞を舞ったとされるべしみ面が残る金井町の正法寺へ。しんと静まり返った本堂で、漆黒のべしみ面を見つめる有栖川さん。能の作法が定型化される以前の様式を残す面としても貴重なものとか。70歳を過ぎて突如佐渡へ配流された世阿弥の晩年を想いながら、今日の能面とはかなり趣の異なる面様と対峙したひと時でした。

 昼食後、新穂村の清水寺へ。京都の清水寺を模したとされる懸崖づくりの本殿が、老杉並木の朽ちた参道の奥に在る、趣きに満ちた古刹です。かつては檀家も多い寺院だったのでしょうが、過疎地にあってこれだけの伽藍を維持するのは難しいことなのかも知れません。雨で木々の緑が濡れ、色の深さを増したなか、ひっそりと佇む救世殿で有栖川さんはしばらく遠くを見つめ続けていました。後でお聞きしたところ、この清水寺は今回の佐渡行で最も印象深かった場所、ぜひまた訪れたいとのこと。空模様や空気感など、全てが取材陣の印象をより深くさせるための条件を生み出してくれたような気がしました。最期に、新穂村歴史民俗資料館へ。やはり話題の朱鷺2世は、見ておかないと。朱鷺の森公園内にある佐渡朱鷺保護センターでの見学はよく知られているところですが、この資料館でも朱鷺のゲージ内を撮影したカメラ映像のライブを見ることが出来ます。

 ジェットフォイル出発時間が迫り、ちょっと急いで港へと向かいました。何とか佐渡取材も無事終了。ぎゅうっと詰まった3日間の行程でしたが、有栖川さんはいつも優しくおだやかに、取材先の皆さんのお話を聞いて下さいました。 新潟空港で伊丹行きの飛行機を待つ間も、今回の佐渡で印象に残ったのは、凛とした梶原太夫や大岩さんをはじめ、出会った多くの方々だと。。。 人との出会いがあるからこそ、敢えて私たちは旅をするのかもしれません。 そして、コルチャックも!!!

 

ついてある記 第2回 おわり。 文責:たま




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