ルートdeぐるっと

「作家が綴る新潟見聞記」<第1回>  魚沼・妻有郷・南越後の旅 〜春。豪雪地にみた”夢”をたどる。〜

「牧之と天心」


ルート行程
スペース 1999年3月28日(1日目): 越後湯沢駅 ― 塩沢町「鈴木牧之記念館」、「長恩寺」 ― 津南町「歴史民俗資料館」、「見玉不動尊」 ― 津南町秋山郷「生蜂園」 ― (松之山・浦川原経由) ― 妙高高原 新赤倉温泉(泊) 
3月29日(2日目):妙高高原町「妙高高原ビジターセンター」、「岡倉天心六角堂」「妙高高原地ビール アルペンブリック・タトラ館」 ― 新井市「かんずり製造元」 ― 妙高高原 赤倉温泉(泊)
3月30日(3日目):妙高高原町「赤倉温泉街」、「岡倉天心直筆書簡など」

【今回の旅行ルート(赤い線)】

【鈴木牧之記念館(すずきぼくしきねんかん)(塩沢町)】

鈴木牧之記念館で『北越雪譜』初版本に見入る新井満さん。江戸時代の民俗・科学エッセイスト鈴木牧之の資料等が展示されている。


【津南の雪景色】


【津南町歴史民俗資料館(津南町)】

旧石器〜弥生期にかけての遺跡が点在し、特に沖ノ原遺跡や神山遺跡など、全国的にも貴重な遺跡も多くみられる津南町。資料館には秋山郷を中心に地域全体の民俗資料等が多数展示されている。


【猿飛橋】

【妙高山】
山裾をなだらかに広げ、ゆったりとした姿で横たわる妙高山。日本百名山のひとつとして、登山者の人気が高い。いもり池に水ばしょうが白い花弁を開き始めると季節は春。

【岡倉天心六角堂】
日本美術の発展と海外への紹介に尽力した美術思想家岡倉天心は、赤倉を愛し、この地で没した。

【かんずり】
地場産唐がらしを麹で3年間熟成・発酵させた新井市の特産品。 上杉謙信のころから伝わる伝統的な香辛調味料

【岡倉天心直筆の手紙】
赤倉温泉・遠間旅館には天心からの手紙が大切に保管されている。

スペース
「牧之と天心」
☆取材同行 ついてある記                       
1999・3・28 (1日目)
東京から新幹線で約1時間。越後湯沢駅に到着。駅前でレンタカーを手配し、初めての作家企画シリーズがスタートしました。

例年に比べ、3月末になって気温の低い日が続き、湯沢方面は雪化粧が残っていました。「季節を逆行しているようだね。」とは、新井さんの弁。

はじめに向かったのは、塩沢町にある鈴木牧之記念館。ここは、雪国越後の民俗、習慣、伝説、産業について詳述し江戸時代の大ベストセラーとなった『北越雪譜』の著者である鈴木牧之に関する資料をはじめ、雪深いここ魚沼地方特産であった塩沢紬の歴史や製造工程なども展示されています。 ひっそりと静まり返った館内を案内して下さったのは、偶然にも、牧之の菩提寺である長恩寺の奥様でした。白髪のおだやかな笑顔が、いかにも雪国の女性の芯の強さを感じさせる奥様の案内で、記念館に程近い牧之の菩提寺長恩寺境内の奥まったところに位置する、牧之の墓に手を合わせる取材班。未だ硬く押し固められた雪の下からわずかに上部だけがのぞく墓石を指し示す奥様と、新井さんの姿は、旅の縁を牧之が用意してくれたのではと思わずにはおれないような光景でした。  

春を感じさせる明るい日差しに輝く雪野原を抜け、次は牧之が著書『秋山記行』のなかで”桃源郷”と描写した、秋山郷へと向かいます。  

山を分け入るように開かれた峠道(国道353号)を車は一路津南町へ。この道沿いにはエメラルドグリーンの清流をはさんで聳え立つ柱状節理の渓谷で有名な「清津峡」があります。

国道405号を進みいよいよ秋山郷へ。美しい河岸段丘は未だ雪が厚く積っています。秋山郷の入口にある津南町歴史民俗資料館には、旧石器期から弥生期にかけての遺跡が多く点在するこの地域の貴重な資料をはじめとする、重要有形民俗文化財が1600点以上も収蔵されています。 ”こんな雪深い地に、どうして?”と考えてしまいがちですが、モータリゼイションの理論で全ての環境を判断するならば確かに、何メートルもの積雪というのは厄介なシロモノ。けれど、人が生きていくために不可欠な水は雪がはぐくむもの。そして、降り積もった雪は夏から秋に蓄えた食糧を保存するに最適な温度と湿度を保ち、さらに雪室の中は暖かい空間であるということを、遥か古来より我々の先人達は知恵として得ていたのだと痛感します。そういえば、この美しい河岸段丘を創り出した大河信濃川中流域には独自の縄文文化が花開いたのです。あの力強く大地から沸きあがってくるような造形美の火炎式土器も、この地域にしか出土していません。(津南歴史民俗資料館をはじめ、十日町市立博物館、長岡市の県立歴史博物館でこの独特のデザインの意匠を見ることができます。) 

資料館に続いて訪れたのは、その霊験に牧之も心躍らせて詣でたという、見玉不動。未だ1メートル以上もの積雪が残り残念ながら山門より先には行くことが出来ませんでしたが、雪解け水が流れる渓流の音が、着実に春がそこまでやってきていることを感じさせてくれるようでした。

さらに秋山郷を奥へ。車のすれ違いが出来ないような道(でも国道です)は中津川の渓谷を縫うように山奥へと続いています。吉川英治が「新平家物語」を執筆した宿・逆巻温泉を過ぎ、牧之が『秋山記行』で綱渡りのように渓谷を渡った描写を残す結東集落の「猿飛の橋」へ。翡翠色の川面と切り立つ岸壁を望む我々を静寂な空気が包み、あらゆる音はあたりの雪に吸い込まれているかのようでした。 さらに秋山郷の奥、長野県境はすぐそこという前倉集落へ。「生蜂園」というお店を訪ねました。ここの奥様は秋山郷の自然、風土、文化に惹かれ何度も足を運ぶうちに、ご主人と知り合い、埼玉からここ秋山郷へと嫁いでこられた方。”桃源郷には仙女がいるものだよ・・・”と、この洒落た発言も勿論新井さんです。                         

秋山郷の現在を紀行文として出版しておられる生蜂園の奥様は、近年の秘湯や山野草・山菜ブーム、ウォーキング・トレッキングブームは、この地にも変化をもたらしているようだと感じておられるよう。山は皆のものではないんですよ、とも。。。 この地に暮らす方々が大切に守り伝え、そしてその恵みを享受している山の恩恵を、勝手な都合で美味しいところだけ摘み取っていくケースが後をたたないようです。雪深いことは不都合なこと、と思い込むのと同様に、自分が当然と考えている尺度で、他者を知らず知らずのうちに測っては結論を導きだしている。。。 旅することは、こうした自分の中の矛盾に愕然とさせられることなのではと、雪雲が動き始めた空を見ながら感じた、桃源郷でのひとときでした。     

白いものが舞い始めた秋山郷を後に、東頸城郡を横断するように車は妙高高原へと向かいます。 春未だ浅い、というよりは冬景色の妙高高原町新赤倉温泉に着く頃には日もとうに落ちていました。                                                                 
1999・3・29 (2日目)                            
美しい姿の妙高山が朝日を受けて真っ白に輝いていました。須弥山とも、妙高富士とも呼ばれる妙高山の山容は、最高峰妙高山を中心に、赤倉山、三原田山、神奈山等の外輪山が囲む複式火山。古来から神聖な山としてあがめられ、豊かな自然が残る日本百名山のひとつ。キーンと冷えた朝の空気が頬を刺し、神々しいという言葉がおのずと浮かんでくる早春の朝です。

初めに向かったのは、妙高高原ビジターセンター。妙高山を写し出すいもり池の辺に建ち、妙高高原の自然風土を判りやすく解説してくれる施設です。ここでは、季節に合わせた自然観察会も実施しており、冬の歩くスキーを履いての雪上観察をはじめ様々な企画が用意されています。

続いて今日は、妙高杉ノ原スキー場のゴンドラに乗ってゴンドラ山頂駅まで登ってみることに。カラフルなスキーウェアに板やボードを持ったスキー客の中で、なぜか、黒づくめのいでたちの新井さんに、やけに軽装で(しかもスニーカー履きの!)取材スタッフ・・・。注目を浴びたのは言うまでもありません。 山頂駅に降り立つと、妙高山の峰のひとつ、三原田山が真っ青な空に白い壁のようにそそり立っていました。

下りのゴンドラに乗車し、眼下に赤倉温泉街の町並みや長野県の野尻湖、志賀高原スキー場を俯瞰しつつ、早春のスキー場ランデブーは無事終了。続いて、岡倉天心が亡くなった旧赤倉山荘脇に建つ岡倉天心六角堂へと向かいました。 明治〜大正期の美術思想家であり、東京美術学校(現東京芸大)初代校長となり、後に横山大観らと日本美術院を創設。日本美術の発展と海外への紹介に尽力した岡倉天心は、晩年、ここ赤倉の地をこよなく愛し、ここにあった山荘で没しています。この山荘脇に建てられたのが、岡倉天心六角堂です。              

六角堂周辺は積雪も多く、踏み固められていない状態でしたが、新井さんは小さなこのお堂まで雪を踏み分けるようにして進み、じっと堂内を見つめていました。天心は、ここ妙高高原に、仏バルビゾン地方で花開いた作家たちの自由な創作活動思想と同じ力の原点があると感じていたのでしょうか。 天心が夢見た「東洋のバルビゾン」。著書『東洋の思想』冒頭で天心は、”亜細亜は一つなり”と唱えています。大東亜国家思想において悪意の解釈をされた不幸な時代を経て、仏教の教えでは世界の中心にあるとされる「須弥山」とも呼ばれる妙高山のふもとの地で早過ぎたグローバリズム思想家・天心の夢が、この美しい自然とともに真の意味で理解されるようになることを祈りながら、積雪の上に屋根だけをのぞかせた六角堂を後にしました。

雪の上をかなり歩いた一行が、次に向かったのは妙高高原地ビールのブルワリー、アルペンブリック・タトラ館。妙高の湧き水とスロバキア産のホップを使った本格ビールは、酵母が生きている感じがする旨さとの評。

少し雪がちらつき始めた妙高高原から、一旦国道18号線を日本海側へと下り、新井市へ。新井市といえばこれ、といえる位の隠れた逸品である「かんずり」の製造元を訪れました。地場産の唐辛子を麹で3年間熟成させた赤いペースト状の香辛料「かんずり」は上杉謙信が出兵の際に兵糧として持たせたともいわれています。 3年間もの熟成を経て、麹のうまみと唐辛子とが融け合い、独特の辛味の中に包み込まれたような旨みが出るのだそう。特別に熟成中の1年もの、2年ものも見せていただきましたが、だんだんと唐辛子の赤さが深みを帯び、荒いみじん状の唐辛子がペースト状に熟成されていく様子が良く判り、先人達の食に対する知恵と、今もなお地元の唐辛子を寒ざらしし、製品化するこだわりように感嘆せざるを得ませんでした。新井さんは東京の知人へのお土産分も大量に購入。「湯豆腐につけて食べたり、焼肉なんかにも最高。日本が誇るスパイスだよ!」とのこと。冬の積雪が雪さらしや麹の熟成に欠かせない要件ともなっているようで、まさにこの地ならではの旨みスパイスといったところでしょうか。

かんずり工場を後に、再び妙高高原赤倉温泉へと向かいます。今日の宿は、岡倉天心縁の宿、遠間旅館。3代目当主が天心の山荘の世話をしていたため、書簡のやりとり等親交が深く、現在も天心からの手紙が大切に保管されています。
                                         
1999・3・30 (3日目)                      
この日も早朝は美しい山容が望めた赤倉温泉街でしたが、次第に雲が出てきてしまい、残念ながらこの美しい山を見ながら去ることはできませんでした。天心の書簡の数々をもう一度見せていただき、早春の妙高高原を後にしました。                             

新井さんと旅した、新潟の2大ベストセラーゆかりの地、塩沢、秋山郷、そして妙高高原赤倉。 鈴木牧之のベストセラー『北越雪譜』も、岡倉天心の『茶の本』、『東洋の思想』も、現在でも世界各地で翻訳され版を重ねています。むしろ我々日本人の方がこの名著を読まずに過ごしてしまっているのかもしれません。大切な何かを探すヒントが、語り継がれ(ともすると見落としてしまっている)名著の中にあるような想いを強くした、今回の旅でした。

ついてある記 第1回 おわり。 文責:たま

新井 満(あらい まん)


’46年、新潟市生まれ。(株)電通・映像プロデューサーとして、数多くの環境 ビデオを制作、この分野の草分け的存在となる。  また、故森敦氏と出会い、「組曲月山」を発表、シンガーソングライターとしても 活躍。’88年、『尋ね人の時間』で芥川賞受賞。 主な著書に『ヴェクサシオン』『海辺の生活』『そこはかとなく』『エッフェル塔の 猫』、紀行『木を植えた男を訪ねて』写真紀行『オンフルールの少年』など。


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