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ホーム > 新潟の見どころ > 新潟の歴史と文化 > 直江兼続

新潟の歴史と文化

   新潟には、全国に誇れる多彩な歴史と文化があります。郷土の英雄や偉人、連綿と受け継がれてきた文化的・芸術的に優れた財産。
   新潟にゆかりのある歴史的人物、文化的財産についてご紹介します。

歴史上の人物:直江兼続

直江兼継
直江兼続

直江兼続

◆おいたち
   兼続は、永禄3年長尾政景の臣、樋口兼豊の長男として生まれた。幼名与六。幼くして景勝の近習となる。長身にして眉目清秀、度量、才気、言行ともに優れ越後男児の天質を備えていた。二十一歳で上杉家の執政に任じられる。
   主・景勝とともに上杉謙信の遺風を尊び義を重んじ、民心を安んじる治政を第一とした。
   窮地に在っては、常に義の真理を貫き、強者に屈せず堂々と対峙して上杉家の威風を示した。
   学問を尊敬し、当代一流の高僧たちとの親交を深めた文化人としての素養に、かつて秀吉は、「天下の治政を任じ得る人物」として兼続の人品を武士の典型と絶賛している。
   兼続は、「愛」の一字を兜に掲げた。これは、「国の成り立つは民の成り立つをもってす。」と言う師通天存達の教えで、兼続生涯の理想であった。そのために兼続は生命をかけて戦い、命をかけて上杉家を守り抜いた。

1560年 長尾政景の家臣・樋口惣右衛門兼豊の子として生まれる。
1581年 お船と結婚し、直江家を継いで与板城主となる。
上杉家の執政に就く。
1598年 景勝、豊臣秀吉から会津120万石への国替えを命じられる。
兼続は米沢6万石を領す。
1600年 徳川家康から謀反の嫌疑をかけられ「直江状」を出す。
1601年 景勝、家康により米沢30万石に減封。
1619年 兼続60歳で死去。



◆激動の時代を過ごした青年期
   謙信の景勝訓育の場に兼続はつねに陪席を許されてともに薫陶をうけた。この謙信との出会いがのちの兼続の人生に大きな影響をあたえた。
   謙信は朝廷を限りなく尊敬し、幕府からも高い信頼をうけていた。
   真言密教の戒律をうけ、不犯を貫き、厳しい修法で陶冶し、義を尊び、弱者をたすけ、侵略する戦いは一度もなかった。学問を好み、戦場に在っても悠々詩歌を朗吟し、琴曲をかなでる余裕を失わなかった。
   非常な戦国にあって、純情潔白、清僧の如く英傑の姿に強い感動をうけたのである。
   兼続が師と仰いだ謙信の死後に起こった「お館の乱」で景勝擁立の中心となって作戦の建策指揮に当たり、景勝の勝利に大きく貢献した。

坂戸城跡
   坂戸山頂への城坂コースの1本杉の近くに、上杉景勝・直江兼続誕生の地碑がある。(南魚沼市)

雲洞庵
   曹洞宗の古刹。景勝と兼続は、この禅寺で学問を学び、高潔な精神を養ったとされる。(南魚沼市)

●徳昌寺
   曹洞宗で与板城主であった直江家の菩提所であり、良寛ゆかりの寺である。(長岡市)

●本与板城跡
   上杉謙信の重将・直江大和守実綱の居城で謙信の内政、外交に活躍、また関東、越中の出兵の根拠地として重要な役割を果したすばらしい山城である。(長岡市)

●長岡市与板歴史民俗資料館
   兼続の甲冑レプリカ、直江兼続像などがある。(長岡市)

新潟県立歴史博物館
   縄文展示を中心に新潟県の歴史、文化を紹介。中世の新潟のコーナーには景勝・兼続ゆかりの品々の展示も行われている。(長岡市)

みなとぴあ新潟市歴史博物館
   新発田重家との戦いで戦功のあった有力商人に、兼続が海川の通行に関する税を免除した写し、「直江兼続諸役免許状写」を収蔵。※現在非公開  (新潟市)

天神山城址
   兼続の実弟の実頼が、最後の城主になった城跡。(新潟市)

観光コース:南魚沼市六日町トレッキングコース

観光モデルコース:南魚沼市六日町 観光コース:南魚沼市六日町トレッキングコース

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